津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

時論/エッセー

「歴史」批判の一背景
1999/11
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 最近、中国人が執拗に対日歴史問題を持ち出す背景の一つに、やっと気が付いた。一言で言えば、原因は毛沢東のstrategicすぎた選択にある。

 70年代始め、毛沢東の最大の課題はソ連修正主義への対抗だった。「そのためには米帝、日帝とだって手を組む」というのが彼の戦略だった。その大局観に基づいて、毛沢東は日中国交回復を実現した。もともと国交回復の狙いがソ連への対抗という極めて戦略的な点に出たものだった以上、そのときの歴史の清算が「二の次」になっていることは否めない。

 当時の社会は今よりはるかに重苦しく、情報も限られていた。一般国民は、訳も分からないまま、「日中友好」を謳うように指示され、それに従った。国交回復で何が話し合われ、歴史・過去の問題についてどのようなやりとりがあったかは、80年代も後半になってようやく知識層を中心に知られていった。日本の侵略の傷跡は人々の記憶に生々しく残っている。いきさつを知った人の間では不満が鬱積していった。

 次代を担う日本アナリストから「(国交回復が行われた)72年頃も、今と同じくらい情報があって、平気にモノが言えれば、ただで済んだはずはない。毛沢東は戦略の天才だったが、大衆の感情は天才の選択をなお受け入れきれずにいる、『かさぶたの下は今も膿んでいる』」と聞かされた。その後、仲の良い知識層に尋ねると、尋ねた8人がみな、「まさにそのとおり」と返答した。

 日本の方はと言えば、当初あまりに割り切れた中国の態度(訪中する度に繰り返される「日中友好」)に、始めびっくりし、その後安心しすぎたのではないだろうか。

 歴史問題と言えば、「共産党の求心力を強めるための愛国・反日教育」が指摘される。確かに若い世代の反日は人為的に再生産されている感があるが、ことはそう簡単ではない。大衆の感情と反日教育は「鶏と卵の関係」にあると見た方が良さそうだ。

 一方は「何遍取り上げたら気が済むんだ」とウンザリし、一方はおおっぴらに不満が言えるようになってまだ日が浅い。最近は中国も随分自由になってきた。伝統的な「友人同士の会話の中」だけでなく、インターネットのおかげで「文字になった言論」も自由度を増してきた。日本を悪罵する発言がいっぱい書き込まれたBBS(電子伝言板)を眺めながらこのままでは中国の民主化とともに反日感情の再生産は続くと感じた。

中国語版
(1999年11月)