津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

日経テレコン21

政治性の強い「西部大開発」
-中国政府、少数民族対策につらい決断-
2000/02/10
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< 要 約 >
最近中国は内需拡大や地域格差是正を掲げて、西部に重点投入を行う「西部大開発」のスタートを宣言した。
しかし、純経済的に見れば、格差是正策から中部を除外する理由はない。他方、西部は人の住み難い砂漠や山地が多く、投資を行っても効率は上げにくい。
「西部」開発にこだわるのは、少数民族対策など国防・治安上の要請が強いからだが、財政が苦しい今、このような政治コストを負担せざるを得ないとすればつらい決断だ。

■西部開発の号令下る

 中国では昨夏から「西部大開発」が言い囃され始めた。最近国務院に西部大開発指導小組(組長:朱鎔基総理)が設けられ、西部地区開発会議も開催された。
 この会議では、西部を開発し沿海部との格差是正を目指すことは21世紀に向けた国土利用の戦略的、大局的な調整であるとされ、このための重点目標として、?インフラ建設の加速、?生態環境の保護育成、?産業構造の積極的調整、?科学技術と教育による人材育成、?改革開放の加速、の5点が取り上げられた。

■一見なじみやすい格差是正策

 中国の沿海・内陸の経済格差は日本でもよく知られた問題である。日本も過去「全国総合開発計画」を数回実施しているため、格差是正策は一見、日本人にもなじみやすい。
 重点目標を見ても、インフラ建設を起点として内需を拡大する、緑化推進により無理な食糧増産で蝕まれた生態環境を復旧させる、科学技術、教育を重視して地域振興を図る、優先的対外開放により外国資金・技術を吸収する、など中国の今日的な要請や政策のトレンドがバランスよく加味されていて、よく練った調整の跡がうかがえる。

■人口の密集する中部は指定漏れ

 だが、対象地域を聞くとやや腑(ふ)に落ちなくなる。地域指定を巡って大陳情合戦が起きたせいか公表が遅れているが、新彊、西蔵、青海、甘粛、寧夏、四川、貴州、雲南、陝西、重慶の10地域が選ばれたようだ。 しかし、湖北、湖南、河南の3省や東北3省は全滅。内蒙古も「落選」したらしい。
 なぜこれまでよく言われてきた内陸や中西部ではなくて「西部」開発なのだろう。
 経済格差の是正というなら、中部を除外する理由はないはずだ。改革開放でテイク・オフした東部、財政投入で浮揚が図られる西部。そうすると、全人口の3分の1を占める中部は何の恩恵にもあずかれずに「陥没」しないか。

■西部への大量の財政資金投入は経済効果に疑問

 上の図表から分かるとおり、対象となった西部10地域は面積が広大なわりに人口が少ない(全国面積の56%、人口の24%)。人口の密集した5地域と過疎の5地域に分けると、更にはっきりする。10地域の人口の8割は人口の密集する5地域(全土の14%)に住み、過疎5地域(全土の42%を占める新彊、西蔵、寧夏、青海、甘粛)には全人口の5%しか住んでいない。大半が不毛の砂漠や急峻な山地だからだ。
 一方、今回選に漏れた湖北、湖南、河南の3省は全土の4%に満たないが、全人口の17%、2億1千万人が住んでいるのである。
 これほど過疎性の強い西部に財政を重点投入すると、投資効率の悪い事業になりかねない(日本の離島の漁港のごとし)。沿海大都市でもインフラ(地下鉄など)は依然不十分だ。沿海・中部の農村地帯では、これから余剰労働力を外に転出させるための小都市インフラの建設が急務とされている。
 経済面だけから見れば、西部開発とどちらがより有効で差し迫まって重要な投資かは言うまでもない。過去2年の公共投資拡大では、あれほど「投資効率の高いプロジェクトを優先せよ」と叱咤(しった)しながら、他方で人口の少ない西部に大量の資金を投入するのはいささか首尾一貫しない。

■大きい地理的ハンディキャップ

 外資導入のために優遇税制も講じられるが、それだけでは西部の抱える地理的ハンディキャップを乗り越えるのは難しいだろう。
 今後の対外開放を西部で率先して行う案も聞かれるが、世界貿易機関(WTO)加盟により今後5年程度で全国的に開放が進むとしたら、誘因効果は乏しい。
 研究者の中には、開墾者に土地を無償で与えたアメリカ西部開拓の歴史にならって(所有権は無理でも)開墾地の利用権を数十年にわたって保証する、更に開墾者の生活費も面倒を見るといった、思い切った発想の転換を主張する研究者もいる。裏返して言えば、西部のハンディは生半可なことでは消せないのである。

■西部開発は「政治的」決定

 このように経済効果と実効性に疑問符のつく西部大開発を始めるのはなぜか。事情通はこれは江沢民主席の「政治決定」であり、主たる動機は「辺境」開発、もっと直截に言えば少数民族対策だと言う。
 それは中央会議の発表にも表れている。内需拡大と並ぶ目的として「民族の団結を増進し、社会の安定と辺境防衛の強化を図る」ことが明確にうたわれているからである。
 事の発端は97年2月新彊で起きたイスラム暴動だという。このとき、党中央は地元の党組織までイスラム側に同情的なのを知り、強いショックを受けた。以来、アメとムチの作戦を遂行してきたが、このとき始まった包括的対策の検討の中で、西の少数民族地域では地域経済レベル向上が不可欠、それには結局財政の一層重点的な投入に踏み切るしかないという結論が出たという。

■統一堅持につらい政治決断

 周知のとおり、今の中国にとって、ナショナリズムは体制維持の大事なよりどころだ。西部大開発は国の統一を保ち、ナショナリズムを保全するために、負担せざるを得ない政治的コストだとも言える。
 日本の地域格差是正策も政治の産物だが、その焦点は成長果実の分配という経済問題だった。しかし、一見、日本の経験にも沿うかに見える中国の格差是正策は、国防・治安に直結した、日本よりはるかに「政治的」な政策なのである。
 インフラ整備に加え、社会保障や不良債権処理など、今の中国財政は、それでなくてもまったく余裕がない。デフレからもまだ抜け出せていない今、辺境になけなしの財政資金をつぎ込まざるを得ないとすれば、つらい政治決定だと言わざるを得ない。

(日経テレコン21 デジタルコラム 2000年2月10日)