津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

日経テレコン21

「小異残し大同につく」日中関係を
-外交政策修正伝えた朱首相訪日-
2000/11/02
Back
< 要 約 >
10月12−17日に訪日した中国の朱鎔基首相は事前の発言が中国国内の反発を招き、訪日中の発言がやや揺れたが、日本の対中感情に精いっぱいの配慮を見せた。
中国ではナショナリズムが肥大する一方で、歴史問題などで日本を攻撃してばかりでは国益に反するとの認識も高まり、朱首相は日本の国連安保理常任理事会入り容認を暗示した。
日中は小異を捨てて大同につく友好関係を築くべきで、日本も主張すべきことを冷静に主張する術をマスターすべきだ。

 最近日本では嫌中感情が高まっている。おまけに朱首相訪日直前には中国の海洋調査船や軍艦の近海航行が世論の強い反発を買った。このため今回は経済より政治、直裁に言えば「日本の反感を鎮める(消気)こと」に焦点が当てられた前例のない訪日となった。そのせいもあり、今後の日中関係について考えさせられる出来事がいろいろあった。

■事前発言で中国国内が反発

 第1は来日直前の8日、朱首相が日本人記者団との会見で歴史問題について語った内容が中国の中で引き起こした波紋だ。

(10月8日日本人記者団との会見)

歴史問題に関する中国の一貫した態度は『歴史を鑑(かがみ)にして未来に向かう(以史為鑑面向未来)』だ。
軍国主義が起こした対中戦争の責任を当時あるいは現在の日本人民が負わねばならないとは思っていない。
どのように今の状況を変えるかというと、中国側はこの問題で日本国民を刺激することをしない、日本も歴史を忘れない。この2つだ。

 発言の注目点は「戦争当時及び現在の日本人(民)に責任はない」と「歴史問題で中国は日本を刺激すべきではないが、日本も歴史を忘れるべきではない」の2つだった。前者は江沢民主席も98年訪日時に使った定番の言い方だが、後者の「刺激」うんぬんは少なくとも中国の指導者が公に使ったことのない新表現だ。
 9日各紙で報じられた記者会見の内容は、インターネットでその日の朝のうちに中国国内にもたらされたが、発言中の「日本人民」が集合概念とも受け取れる「日本人」と訳されて伝わったこともあり、たちまちインターネット掲示板などに「軟弱発言だ」という抗議・批判が集中した。香港の大公報も10日にこれを報じたが、親大陸系の同紙は翌日「重要訂正」を出し、「日本人」は「日本人民」になり、「刺激すべきでない」のくだりは完全に消えてしまった。大騒ぎになったということであろう。

(香港大公報の11日付「重要更正」による朱首相発言)

中国の一貫した態度は『以史為鑑面向未来』だ。
歴史上日本軍国主義が中国にした侵略について、日本『人民』が責めを負うべきものとは考えないが、同時に我々は歴史を忘れるべきではない。
日本軍国主義に反対することは中日両国民の利益である。

■緊張強いられた朱首相

 この予期しない「内圧」のせいで、朱首相一行は来日前から相当な緊張を強いられたようだ。14日に行われた注目の民放テレビでの市民対話はまずまずの評価だったが、同首相はかなり緊張しており、「中国人民の感情」には触れても「日本人民の感情」には触れなかった。

(13日首脳会談。人民日報報道より)

歴史問題に関する中国の一貫した態度は『以史為鑑面向未来』だ。
歴史、台湾、安保関係に関する日本の一部の言論は中国人民の日本に対する信任を傷つけているが、同時に、日本でも中国に対する疑念と不安が生まれている。

(14日TBS放送市民対話)

中日関係の主流は非常によいが問題もある、日本では中国に対する疑念と不安が生まれ、時には中国が脅威と感じられている。同時に歴史、台湾、安保関係に関する日本の一部の言論は中国人民の感情を傷つけている。
中国人民の感情を刺激したり傷つけたりすることをしないでほしい。いかなる人も歴史を忘れるべきではない、歴史を忘れるのは裏切りだ。歴史を正視し未来に向かうべき、それで教訓を汲み取り過ちを繰り返さないことだ。
今回は詫びを求めてはいない。それで国内では軟弱だと批判を受けている。
日本はこれまで正式の文書で中国人民に対して詫びたことはない、詫びるか否かは皆さん自身の問題だが、考えてほしい。
触れたくなかったが、あなたが取り上げたので言う、南京大虐殺は十分な証拠がある、あれは完全に事実だ。

 これで日本国内にやや失望感が生まれたのを察してか、同首相は16日の記者会見では改めて「日中双方とも相手側の人民を刺激するようなことは避けるべきだ」という言い回しで先の発言を回復してみせた。しかし、全体として今次訪日のメッセージが分かりにくくなったことは否めない。

(16日記者会見)

日中双方とも相手側の人民を刺激するようなことは避けるべきだ。歴史を隠し、改ざんしようとする一部の人々に対して注意を喚起することは、日本人民を刺激することにはあたらない。
お詫びを求めることが目的ではなく、私たちが願っているのは世々代々の友好を作り上げることだ。

■インターネットが威力発揮

 この点に関連して痛感したのはインターネットの威力だ。前述の日本人記者団との会見はもとより、民放の判断でカットされたテレビ対話の一部分までたちまち翻訳されて掲載される。それに対して新華社電や人民日報など公式メディアは今回も「敏感」な報道を避けた。
 昔はそこに「知らしめない」という意味があったが、今は「何を気にして伏せたか」という手の内まで見透かされる。中国でインターネットが爆発的に普及する理由が分かる。

■「お詫び」問題で立場を明確化

 考えさせられた出来事の第2は、テレビ対話で朱首相が質問に答えてお詫び問題に触れ、「日本政府はこれまで中国に対して、正式の文書でお詫びしたことは1度もない」と述べたことだ。
 「またか!?」という思いで聞いた人も多かっただろうが、別の見方があり得る。表に見るとおり、相手方、形式、内容の3点で同首相の述べた条件を満たす日本の意思表明がないことは事実だ。同首相は何が足りないと考えているかを明確化したが、そこで日本人の脳裏をよぎるのは「それでは仮に日本が3拍子揃ったお詫びをしたら、中国はそれ以上お詫びを求めないと請け合えるのか」という疑問だ。そういう意味で、立場を明確化することは勇気が要る。そこに同首相らしさを感じた。

表. 「お詫び」問題を巡る日本政府の立場

「中国」に向けた「文書」だが、「お詫び」でなく「反省」

過去の一時期、戦争により中国国民に重大な損害をもたらした責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した(72年9月、日中共同声明)
過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した(98年11月、平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言)。

「文書」による「お詫び」だが、「中国」向けでなく「多くの国」向け

植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします(95年8月、村山総理大臣談話)。

「中国」に向けた「お詫び」だが、「文書」でなく「口頭」

(過去の侵略行為について)日本政府として改めて反省とお詫びを中国に対して表明する(98年、江沢民主席訪日の際の首脳会談で小渕総理が口頭で表明)。

■日本の安保理常任理事国入り支持を暗示

 第3は、全くマスコミの注目を集めなかったが、14日の経済団体主催の午さん会で行ったスピーチの以下のくだりだ。
 「(略)中国は繁栄し発展する日本を眼にすることを願っています。また、日本が国際的及び地域的な仕事(事務)の中で、より大きく積極的な作用を発揮するのを眼にしたいと願っています。」(中略)「中日両国はともに(アジア)地域の大国であります。中国はアジア経済における日本の影響と作用を重視し、ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日・中・韓)の枠組みの下で日本との協調を強め、(中略)アジアのためにあるべき貢献を行えるよう願っています」。
 専門家はここで言う「国際的な仕事の中で」の「より大きく積極的な作用」は日本の国連安保理常任理事国入りを支持する用意ありという暗示だと見ている(そうとしか読めない)。アジア地域での協力の呼びかけも、2国間中心主義だった中国外交の新境地を示す感がある。日本ではこれまで「中国はライバル日本の足は何でも引っ張る」との見方が一般的だっただけに、このスピーチには驚いた。

■外交政策の修正を迫られた中国

 中国は昨夏の北戴河で対日政策を修正したと言われる。修正前の対日政策を象徴するのは98年6月の江主席訪米であり、平たく言えば「米国とさえうまくやっておれば、日本は後から付いてくる」式の政策だ。
 その後立て続けに問題が起きる。同年11月の江主席訪日では執ような歴史発言で日本の嫌中感情を一挙に高めてしまった。アジア通貨危機の時は欧米投機家の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)とIMF(国際通貨基金)の高慢かつ誤った指揮を目のあたりにした。翌99年春には中国が拒否権を持つ国連安保理事会を通さずにNATO(北大西洋条約機構)がコソボの「内政」問題に介入し、少数民族問題を抱える中国を震撼(かん)させた。4月の朱首相訪米ではWTO(国際貿易機関)交渉も決裂、5月にはベオグラードの大使館が爆撃まで受けた。
 ここに至って中国は全面的な外交政策修正を迫られる。米国一極支配への追随は危険で世界の多極化を志向すべきだとの結論に達したのだ。

■日本とのムード改善も本格的に

 中国はそこで対日関係が深刻な状態に陥っていることに思い至った。これ以上関係が悪化すれば、経済面で日本官民の協力が得られなくなるだけでなく、安保面でも日米の結束を固めて台湾問題はますます分が悪くなってしまう。感情の赴くまま日本の悪口を言い続けることは中国の国益に反することにようやく気がついたのである。
 対日政策の修正はこの文脈の上にある。今年前半のばかげた調査船・軍艇派遣のせいで、それまでに積み上げたムード改善努力は帳消しになってしまったが、今回の朱首相訪日は、この路線が維持されていることを示したと言って良い。中国では前述の午さん会スピーチのような重要な内容をリップサービスで言うことは許されない。スピーチ全文は今も中国外務省のホームページに掲載されており、公式性の高さをうかがわせる。対日政策の修正はかなり本格的だと見てよかろう。

■肥大したナショナリズム

 しかし、ここに大きな障害がある。肥大したナショナリズムだ。
 未確認だが「日本を刺激すべきでない」という「刺激」的な言い回しを最初に使ったのは江主席だといううわさがある。権勢並ぶ者のない同主席が内部講話で使ったので、朱首相もならったのだという。しかし、最高権力者が使った言い回しすら、国内の反発をはばかって伏せられてしまうとしたら、マグマは相当上昇していると考えざるを得まい。
 社会主義思想からいよいよ遠ざかりつつある中国の指導部にとって、ナショナリズムは正統性と団結を担保するよりどころだ。しかし、それが肥大して今や手を焼く存在になり、理性に基づく国家利益の追求を阻害しそうになっていると言ってよい。今回インターネット上で起きた波紋はその危険性を端的に示したと言える。

■「トラウマからの脱却」論ずる書き込みも

 しかし、悪いことばかりでもない。今回改めて中国のインターネット掲示板を眺めていて気がついた。やはり感情的な反日論調が目につくが、その一方で冷静、客観的な視点に立った書き込みもあるのだ。
 最近、中国では「我々は、もはやアヘン戦争以来150年の恥辱の歴史というトラウマ(心の傷)から脱却すべきだ」、「今や影響力ある大国になったのだから、自国のことばかり考えず、もっと地域・世界への責任を自覚すべきだ」といったポスト文革世代の主張が芽生えつつある。
 そういう主張がもっと広まることを心から願う。歴史で手が汚れた日本人は、とても「トラウマから脱却せよ」などと言えた義理ではないが、今の日中関係を改善するために必要なのはまさにそれだ。

■互恵互利の隣国関係を

 日中はライバル同士の側面を持つし、日本は日米安保を基軸とする政策をとる。両国の利害衝突は時に避けられないが、同時に永遠に引っ越せない隣人同士だ。感情的になり、憎み合って何の得もないのは中国も日本も同じである。
 周辺のアジア諸国のことも考えないといけない。日中の反目を見るたびに「アジアの未来を拓くのは難しい」とため息をつくアジア人がたくさんいるのだ。
 同時に、これからより健全な日中関係を築くには、主張すべきことを冷静に主張する術をマスターする必要がある。中国が対日政策の平衡を大きく崩してしまった責任の一端は、きちんと異議を申し立てなかった日本側にもある。永遠に我慢できる聖人ならよいが、我慢を重ねた挙げ句「キレてしまう」のが日本人の悪い癖だ。「小異を残して大同につく(就大同存小異)」のたとえに従って互恵互利の隣国関係を築いていきたい。

中国語版
(日経テレコン21 デジタルコラム 2000年11月2日)