津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

中国経済・政治

中国民営企業の台頭
2000/03
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 戴紅帽子(紅い帽子をかぶる)。
 中国では最近までそんな言葉が使われていた。ほんとうは民営企業でも、差別から逃れるために郷鎮企業(公有制企業の一種)に偽装したことを指している。
 成功した私営企業を訪れると、壁には麗々しく「高額納税郷鎮企業」とか「優秀郷鎮企業」などと書いた表彰プレートが飾ってある。怪訝に思って「民営企業じゃないのか」と聞くと、彼らはニヤリと笑う。野暮は言いっこなし、とばかりに。
 こんな笑い話もある。中央の会議で地方経済に関する報告が行われた。どう数えても企業数の辻褄が合わない。それも道理だった。実は農業部が上げてくる郷鎮企業と、工商行政管理局が上げてくる私営企業が、大幅に重複していたのだ。
 そこに現在の中国経済を読み解くヒントが隠れている。残念ながら世に流布しているのは「国有企業改革」論ばかり。膨大な余剰人員、老朽化した設備、学校から病院まで企業持ち……その深刻な病弊が論じられてきた。なるほどそれも中国経済の一面だろう。だが、それだけでは中国の何分の一しか見たことにならない。投資、輸出の両面で成長を支える外資企業を視野に入れても、まだ全貌を捉えるには足らないのだ。
 死角がある。民営企業の存在がすっぽり抜け落ちているのだ。

■禍を福に転じたローテク元気組

 中国で今、ホットな民営経済といえば二つある。一つは服装、食品、軽機械、部品下請けなどのローテク産業。国家が重要産業と見なしていないこの分野では、地方を中心に民営企業家が急速に台頭している。
 成功したオーナーたちは農民出身や低学歴の人々。社会のエリート出身ではないが、年齢はせいぜい四十代前半までとみな若い。出発点は八〇年代半ば。まだ二十代のころに親戚や友人からわずかな創業資金をかき集めて、従業員数人の町工場から身を起こした。私営企業などまだ日陰者の時代で、国有企業のように銀行融資を後押ししてくれる役所もなかったから、ときにヤミ金融にも頼らざるをえなかったという。
 彼らは九〇年代に発足した国内株式市場の恩恵にも浴していない。株式市場は国有企業の資金調達専用だったからで、民営企業はお呼びでなかった。最近は国有輸出入公司を通さない自営貿易が拡がっているが、民営企業はその認可でも最近まで後回しにされてきた。
 それでも九〇年前後、景気過熱で銀行融資が甘くなったのに乗じて、企業規模を大きくし、企業数もみるみる増えていった。景気が下降に転ずると激しい優勝劣敗の競争にさらされ、多くの企業が消えたが、そこでも勝ち残ってきたのが今の成功者達だ。
 だから、雑草のごとく逞しい。あまり需要の伸びが期待できない軽工業のような伝統産業でも彼らが成長できたのは、低コストと機動性で国有企業のシェアを喰い取っていったからだ。民間同士の競争も激しいが、ひとたびドングリの背比べを抜け出せば、勝者は市場のパイから大きな分け前を切り取れるのだ。
 勝ち残り組の中には、従業員数千人、いや一万人近くに達している大企業が生まれた。売上高も大は数百億元、しかも前年比二〇〜三〇%近い成長を続けているところも多い。
 冷淡だった国有銀行も地域によっては一変している。今や優良な借り手には争って貸そうとするから、成功した民営企業は銀行融資にも困らない。四大国有銀行から数億元の無担保融資枠の設定を受ける民営企業も出てきた。民営企業家にももちろん悪質な者が大勢いるが、総じて成功した民営企業家は国の後ろ盾を持たない分「信用」を大切にしている。
 こうした民営企業が隆盛なのは、経済が発達し「観念」の転換も早い沿海部である。特に顕著なのが上海周辺にある浙江省と江蘇省だろう。
 長江(揚子江)の南にある浙江省は「民営企業のメッカ」と言われるほど。台湾に近いので重要国有企業を置いてもらえなかった不遇が福に転じた。省南の温州市(人口七〇〇万人)や台州市(同五〇〇万人)では、すでに国有企業の対GDP比率が五%を切っている。浙江人といえば、もともと商売上手と足まめで知られる土地柄。専売店網の全国展開など、販売力をテコに急成長する企業が続々出現している。
 他方、長江の北側の江蘇省では郷鎮企業から転身した民営企業が多い。管轄地方政府のしがらみから抜けきれない郷鎮企業も多いが、株式制に転換して地方政府を上級機関から一株主に変えることに名実ともに成功した企業は、順調に離陸している。江蘇省南部は多数の多国籍企業進出で産業経済の厚みを増しており、進出企業からの受注に成功する民営企業も増えている。
 外資からの受注によって特異な発展を遂げつつあるのがもっと南方の広東省、特に世界最大のプリンター、ファックス生産基地となった珠江河口地帯(香港・澳門の後背地)であり、外資系と民営企業が入り交じり、今やあらゆる部品が注文後一両日で納入されるという世界有数の裾野産業集積地帯に育ち、内外バイヤーの注目の的だ。

■ナスダックに倣うハイテク組

 もう一つホットな民営企業群はハイテク組、こちらの担い手はもちろん高学歴層である。インターネット、パソコン、バイオなどの分野でIPO(公開株売り出し)を目指すナスダック(米国店頭株式市場)型発展モデルに倣っている。役所も軍隊も会社づくりに励んだ中国では、理系の大学や研究所もせっせと起業した。その成功者が所属組織との上下関係を株式制導入で清算し、民営企業に変わりつつある。所有関係でも「スピンアウト」に成功したわけだ。パソコンメーカーの「連想」や民営ハイテク企業「四通集団」が出資したウェブサイト「新浪網(Sina.Com)」などは日本でも知名度が上がってきた。こうした新興企業は、たいてい米国又は香港系の投資ファンドやローファームが既に財務・法律顧問に収まっている。
 中国政府もナスダックの目覚ましい成功を見て、ハイテク産業ではスピード重視の直接金融を取り入れ、世界のベンチャーブーム、直接金融志向に乗り遅れまいと決心した。その結果、これまで中国民営企業には無縁だった株式上場の途が、急速に開かれつつある。
 トップクラスの中国ベンチャー企業がIPOを目指す市場はやはり本場のナスダックだが、昨年十一月には香港でもベンチャー市場(GEM)がスタートしている。さらに上海、深(土扁に川)でもハイテク市場の設立準備が始まった。最激戦のネット関連では数年前から投資ファンドによる青田買いが始まっていて、今後も中国で「金の卵」探しが激化しそうだ。

■財政難で公有制が縮小

 でも、社会主義国家の中国では、民営企業などしょせん「徒花」ではないのか。そして将来に不安はないのだろうか。ある企業家は言う。
 「会社を大きくするとき、いつも迷ったのは銀行からカネを借りるか、自分のカネを使うかだ。自分のカネを投資で寝かせれば、それきり逃げられなくなる。でも、最近はもう大丈夫と吹っ切れた」
 なぜ吹っ切れたのか。社会主義の基本的な建前である(企業)公有制が立ちゆかなくなったからだ。
 ごく最近まで中国政府は、国有企業を代表とする公有企業に十分な資本金を出してこなかった。極端な話、全額借入金で創設された国有企業もある。採算に無頓着だったのは、政府が需給や価格を統制する計画・閉鎖経済の名残があったからだ。「資金」さえ用意できれば自己資本でも他人資本でも構わなかったのだ。
 しかし九〇年代に改革開放が進んで三つの変化が起きた。経済の市場化進展、西側の製品と企業の大量進出、そして供給過剰の出現である。これによって「負の遺産」を山ほど抱える老朽国有企業が行き詰まるのは当然としても、最近生まれた新鋭国有企業まで高負債、過小資本のせいで次々に経営不振に陥ったのだ。
 開放経済体制のもとで国有企業を維持するには、国家財政が十分な資本を拠出しなければならない。新鋭国有企業の相次ぐ経営不振を見てやっとそのことに気づいた国務院は九六年以後、過小資本プロジェクトは認可しないと決めた。
 が、出るを制するくらいでは国家の「過小財政」問題は解決できない。徴税システムの整備と発達が遅れた中国は、七八年から九八年までの二〇年間に、名目GDPが21.9倍に増加したのに財政収入規模は8.7倍しか増加しなかった。おまけに新たな支出要因の出現で、財政負担は急激に重くなっている。景気浮揚のため三年連続で公共投資を増やし、余剰人員整理の受け皿になる社会保障制度の不足原資を補填し、国有銀行の不良債権を処理するなど莫大なカネのかかることばかりなのだ。
 このため中国の国債発行は激増している。それでも1999年の累積赤字の対GDP比率は11.9%。フローで見るなら元利償還原資は当分調達可能だが、ストックで見ると事態は見た目よりはるかに深刻になっている。98年11月の世界銀行内部報告の推計によると、国有商業銀行(全額政府出資)債権中、償還不能分が対GDP比率で一八〜二七%(以下同じ)。
 国有企業従業員の養老年金の積み立て不足や給料遅配欠配分が四六〜六九%、政府が保証した外債が八%など、最終的に財政で処理するしかない潜在債務を足すと、今でもGDP比率が一〇〇%を超える可能性があるという。もちろん政府はこうした数字を公表していないが、中国人エコノミストに聞いてもこの数字は概ね当たっているとの評価だ。
 日本の政府債務/GDP比率は2000年度末には一三〇%に達する。しかし、税収の対GDP比率が一九.七%(98年度)ある日本に比べ、徴税基盤の弱い中国は一一.七%(98年)しかない。中国の負担の重さは見かけの倍近いとも言える。国家財政難のもとで中国の国有部門は、日本で言う「選択と集中」と似たリストラを進めざるをえなくなった。

▼不採算企業の整理 国有企業は中央直轄の超大型企業から地方政府が管轄する中小企業までさまざまだが、膨大な数の中小企業まで財政が支えるのは不可能。このため多くの国有中小企業が身売りやリース、従業員への経営権譲渡(中国版MBO)や破産処理を進めている。地方ではこの数年、中小国有企業の整理が驚くほど進んでおり、民営企業家がその後を引き受けることも多い。

▼新規投資分野の縮小 新規投資対象も縮小せざるを得ない。昨年九月の共産党四中全会は「国有企業は進むことも退くこともある、為すことも為さざることもある」というスローガンを掲げて、公有制縮小を宣言した。今後も国家が資本を出してコントロールする(狭義の公有制を維持する)分野を「国家安全保障関連」「国民生活関連の重要物品・サービス供給」「自然独占業種」の三業種、五〇〇社強の重要国有大企業に限定したのだ。すでに数年前から国の投資先は、競争産業からインフラ建設へと大きくシフトしている。

▼重要企業への資源集中 同じく昨年九月、中国は重要国有企業の負債減少と銀行不良債権の処理を進めるため、不良債権の株式化(債転株)を始めた。転換は額面で行われるから含み損は極めて大きいはずだが、昨年秋からの四カ月で約一兆五〇〇〇億円相当の債務が転換され、実行待ちの認可済み案件がなお四〜五兆円分あると聞く。中国の財政規模を考えると実に重い負担だが、重要企業を救うためにはやむを得ない選択だった。

▼投下資本の退出 国有企業は元々国の一〇〇%出資企業だった。上場国有企業(約九〇〇社)ですら発行株総数の七割前後は流通禁止の国有株。しかし、ここでも四中全会がタブーを破った。

 企業支配のために高率の出資は要らない。余分な国有資本を退出させれば、売却益も社会保障などに転用できる。狭義の公有制を維持する場合でも国の出資比率は最低五〇%強あればよい。維持しない場合はもっと放出してもよいし、外資が株式の過半を握る合弁にして主導権を手放してもよい……。かくて昨年末から国有株の市中放出の実験が始まった。国家が独占してきた電信、交通などのサービス分野にも民間資本が参画しつつある。
 国有部門が進める「退き、為さざる」式のリストラは、裏返せばその穴を埋める民営企業にとって飛躍のチャンスでもある。
 増え続ける人口と膨大な過剰人員を抱える中国では、最低六%程度の成長率は社会の安定維持の生命線。財政再建のためにも経済成長によるパイ拡大は不可欠であり、公有制縮小で空く経済の穴を埋めることは必須の課題になっている。
 だから民営企業はもう徒花ではなくなった。分水嶺は昨年三月の全人代だ。憲法が改正されて、「社会主義公有制の補充」成分に過ぎなかった私営企業、非公有企業が「社会主義市場経済の重要組成成分」に昇格したのだ。さらに九月の四中全会は個人・私営企業や外資企業の「発展を促す」ことを明言した。社会主義の「鬼っ子」民営企業も認知されることになったのである。
 公有制の破壊だけ見て、その跡に育つ新しい芽(民営企業)を見ない中国ウォッチャーは大きな誤りを犯している。公有制の縮小で国有部門が経済に占める比重は、遠からず二五%まで落ちる見通しだ。その後に伸びるのは、現在でも五〇%強(CEQ、中国経済四季報推計)の比重に達したとされる民営部門である。
 日本企業は今まで主に国有企業をパートナーや取引先にしてきたが、今後それが中国経済の四分の一に過ぎなくなることを頭に叩きこんでおくべきだろう。対中輸出や現地生産、投資の計画を立てるとき、民営企業を抜きにしては語れなくなる。

■創造的破壊の十年間

 日本や欧米で好まれるもう一つのステロタイプ中国像に「保守派の抵抗」説がある。資本主義と見分けのつかない昨今の政策に保守派が怒り、いずれ揺り戻しが起きるという議論は今でも根強い。
 しかし中国指導者にとって何より大事なのは、国民を豊かにし国の安定を維持することだ。だが、経済成長が必要なのに国家財政では公有制を支えられない現実の矛盾に対し、保守派は何の代案、処方箋も書けない。保守派のそうした限界は北京も承知している。だから将来、イデオロギーの回帰現象が起き、中国の経済路線を社会主義統制経済に逆戻りさせる可能性はまずないと見ていい。
 むしろ問題は過渡期の混乱だ。失業問題の深刻化などが、大国中国の泣きどころ――社会不安を高めかねないのだ。その意味で今後五〜一〇年の間、創造的破壊の負の側面に耐えられるか否かが正念場だろう。
 国有企業のリストラも民営企業の発達も、ある意味ではサプライサイド(供給重視)政策である。苦難に耐えぬけば、経済効率が大幅に改善し、第二の飛躍期に入る可能性がある。一方で社会不安が政情不安に結びつけば、八九年天安門事件の二の舞を引き起こす可能性もある。
 政治動乱で無数の人間が死ぬのを何度も見てきた中国指導者は、混乱の予兆が見えると本能的に緊急停止ボタンを押してしまう。当面の安定を保つために共産党が締め付けを強めると、政治の経済干渉も腐敗も温存され、創造のスピードは落ちるのだ。そこに深いジレンマがある。
 とはいえ、中国は今後も経済グローバリゼーションの潮流に合流していくしかない。そこで行われる競争には、異質な参加者を均質化していく力がある。中国経済にもその力が働いて公有制が縮小しつつあるのだが、興味深いのはそれによって政府機能も変質しつつあることだ。図式的に言えば「国有企業から歳入を得て産業建設に当たる政府」から「徴税で歳入を得て間接的な所得再移転を行う政府」への転換が始まっているのである。
 中国政府の民営企業に対する姿勢が冷遇から応援へと変わりだしたのも、こうした政府機能の変質と並行している。民営企業こそ今後の経済発展、雇用創出、納税の役割を担う存在とみて、共産党は彼らを統治機構に懸命に取りこもうとしている。台頭してきた有力民営企業家を、政治協商会議委員や人民代表大会代表などに起用しようとしているのだ。
 中国版「代表なければ課税なし」だろうか。これをマルクス主義お得意の修辞法で「下部構造が上部構造を規定する」と表現してもいい。民営企業の台頭が経済構造に与えるインパクトは、中国の権力構造をも変えずにはおかないだろう。

(2000年3月)