津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

中国経済・政治

中国の変化に見るバイオリズム
2004/03/28
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 いずこの国にもバイオリズムに似た「周期」がある。それも単一の周期ではなく、いくつかの周期の合成波になっているのが常だ。数年単位の景気循環のような短期もあれば、十年単位の中期、さらには周期が数十年、あたかも国の発展段階に対応するような長い周期もある。

 いまの中国はこの「周期」を人一倍感じさせる存在だ。短期で見れば、昨年の中国は経済が絶好調だった。絶好調すぎて、振り子はいま逆に振れ始めた。中期で見れば、昨年江沢民・朱鎔基から胡錦涛・温家宝へと国家指導者が交代した。トップの交代だけでがらりと変わるほど中国は小さくも単純でもないが、十年前後の周期で徐々に起きているコンセンサスの重心移動は、政権交代という転機に仮託させて考える方が分かりやすい。そして長期で見たとき、誰の目にも明らかなのは「中国の台頭」だ。それは数十年の周期かそれとも数百年の周期の変化なのか・・・。

 最近の中国にはそんな「周期」を感じさせる話題がいくつもある。以下、日本であまり知られていないものを選んで、当今中国事情を論じたい。

■また出てしまった「盲目投資」の持病 −空前の設備投資ブーム

 中国景気は92〜95年頃に過熱、96〜99年頃に過冷却という周期を辿ってきた。98年に始めた積極財政のおかげで2000年から景気は好転した。2001年にはWTO加盟により中国経済に対する信任が高まり、新たな外国投資の波が起きただけでなく、国民の自信も高まった。中国経済はそこからは力強い成長軌道に乗った。

 しかし、景気を加熱する意図せざる要因がもう一つあった。人民元高防止のために低金利政策を取り、かつ、大量の為替市場介入を行っていることが貨幣供給を急増させたのである(「ドル買い代金=人民元」の市中大量放出)。結果的にリフレ政策を取ったことになり、強気心理が支配する経済に「イージー・マネー」が潤沢に流れこんだ。そのせいで、「強気」は一部で「ユーフォリア(陶酔感)」に化け、中国経済は再び「過熱」の周期に入り込んでしまったようである。

 昨年の中国のGDP成長率は9.1%と発表されたが、政府部内に10%を超えていたという異説がある。脚光を浴びる華東地域などでは20%を超えていたと思われる都市もある。成長の主役は投資だ。全国の固定資産投資が対前年比で26.7%増、東部地区に限ると33.6%増、不動産投資は29.7%増、工業は全体で39.0%増だが、鉄鋼業96.9%、電解アルミ92.9%、セメント121.9%、自動車87.2%・・と、一部業種の伸びは目を疑う。そんな無茶な投資をすれば、後に深い反動の谷が来るし、不良債権に化ける銀行融資も増える。「盲目投資」、「重複投資」と呼ばれる中国の「持病」がぶり返した格好だ。

■過熱防止へブレーキ踏む ―人民元レート保持の制約下、金融は引き締められるか

 当局は以上の様を見て、昨年6月不動産投資から銀行融資の抑制、「窓口指導(日本の語彙そのまま)」を始めた。昨年10月には銀行の預金準備率を引き上げた。2月の人民銀行工作会議は、過剰投資、それによる景気過熱、インフレを阻止することを重点として打ち出した。周小川人民銀行長は会議席上で「インフレ防止に重点を置かなければならなくなった」と演説し、97年から続いてきたデフレ対策重点の貨幣政策の方向転換を印象づけた。

 グラフから分かるとおり、銀行貸付の伸びは既に昨夏から鈍化しているが、今年はさらに抑制される。上述の一部工業や不動産に対する問題融資を洗い出すために銀行特別検査も始まった。国全体の安定成長を維持するためにはブレーキを踏まざるを得ない。

 ブレーキの踏み方がかなり強くなってきたが、問題はその踏み方が景気減速のために十分かどうかだ。実はここに不安材料がある。為替市場で元高圧力が高まるのを恐れて、金利を引き上げられないことだ(人民元の金利だけ引き上げると、米ドル金利とのスプレッドが拡がってドル資金流入圧力が高まるため。ここに人民元レート問題が関わっている。)

 物価の上昇が始まったのに、金利を据え置いている結果、実質金利はかえって下がっている。金利を据え置いても強制的に銀行貸出を絞り込むことはある程度可能だが、市場原理に反するので、融資の一律比例削減(プロラタ削減)といった旧態の手法に頼らざるを得なくなったり、不法なプレミア付き転貸が増えたりといった弊害は避けられないだろう。

 減速できなければ、景気過熱はいっそう深刻化する、減速できれば今年の中国景気は下降し、過熱した地域や業種は金融引き締めで厳しい状況に直面する。相当な難局がやって来そうだ。

 しかし、だからと言って、また「中国崩壊」を唱えるのは軽率だ。日本の中国経済観もそろそろ極端から別の極端に振れるクセを改めるべきである。中国経済は過去十年、過熱・過冷却・再び過熱とジグザグを続けているが、それでも「崩壊」はしてこなかった。今回も「崩壊」は考えにくく、基調としては今後も成長が続くだろう。中国はヨーロッパ全土くらいの広がりと多様性のある国である。その行方はもう少し個別にミクロで見なければ、対処を誤ることになる。

■「乱開発」区に吹く「粛正」の嵐

 ちなみに投資の抑制にかかっているのは金融監督部門だけではない。昨夏から発展計画委員会、国土資源部など5省庁の連合査察により、全国各地の開発区(工業団地)が厳しい取り調べを受けた。開発区の規制緩和や優遇策に目をつけた乱開発や制度の目的外利用に鉄槌が下されたのだ。特に中央政府は開発区の造成に当たって、農民が満足な補償金もなしに農地を追い出されている実情を非常に重く見たと言われている。

 昨年末にはこれら「乱開発」区を想像以上の規模で「清理整頓」する国務院通達が出た。県政府以下の造成した開発区は一律認可取り消し、中央認定(国家級)の開発区ですら無許可拡張、未認可の造成などが見つかり、その部分が認可取り消しに遭った。取り消されると農地を現状復旧し、農民に無償返還せよという厳しさである。多くの開発区が鉄槌を食ったせいで、今後日系企業の進出用地の需給にも影響が出てくるだろう。

■「分裂・分権」から「統一・集権」へ −税収と地方への所得移転の大幅増

 10年前、90年代前半の中国は分権的というより、独自の経済発展の成功で自信をつけた地方が中央の言うことをなかなか聞かない分裂気味な国だった。広東省などは言うことを聞かない地方の筆頭格だったように思う。それは80年代の中国が分権的な政策を取ったためである。それで地方格差の拡大を招いたが、反面では各地方に経済改革やインフラ整備の競争を促し、初期の改革開放を促進した。功罪半ば、であろう。

 この流れを象徴するのが80年代に?小平が提唱した「先富論」であることはよく知られているが、意外と知られていないのは、財政が困窮していた当時の中国は分権をやるしか途がなかったという事実である。

 80年代、改革開放が始まったせいで計画経済に依拠した旧い財政制度はガタガタになってしまった。各地方からの「上納」に依存していた中央財政は慌てて「請負制(インセンティブ制)」を導入したが、地方に上納よりも過少申告を奨励する結果となり、中央財政はいっそう苦境に陥ってしまった。「地方が中央を養っているのに、中央の言うことだけ聞けと言われても・・・」広東省のきかん坊ぶりが目立った90年代前半は国庫がいよいよ底をついた時期でもあった。

 しかし、中国は93年末、財政危機をバネにして中央・地方の取り分を税目で区分して中央取り分を大幅に増やす大改革「分税制」を導入した。国税の徴収を地方に代行させるのも止めて国家税務局の系統を新設した。分税制のお陰で総税収に占める中央取り分は93年の22%から翌年には一気に55%にまで恢復したのである。

 地方はこんな不利な制度の導入になぜ応じたのか。種明かしすれば、分税による減収分は既得権として中央から地方に戻し交付する約束をしたからである。「それでは改善といっても見かけだけ・・・」そのとおりだが、中央側も一つ細工をした。将来の増収分は中央が厚く取ることにしたのである。

 分税制導入から10年余り・・・この間に中国財政に目を瞠る変化が二つ起きている。

 一つは中国が税収の上がる国になったことである。日本と対比するとよく分かる。昨年の両国の名目GDPを比較すると中国は日本の30%、これに対して国税と地方税の合計額を対比すると、日本73兆9600億円に対して中国は31兆8700億円(関税収入込み、1元=13.19円換算)と、中国が日本の44%になる。中国はGDP当たりで日本の1.5倍の税金が取れるのである。一般税収が1兆元を突破したのが1999年、そして2003年は2兆元を突破・・・昭和40年代、日本の高度成長期の自然増収を彷彿とさせる勢いだ。

 第二の変化は、この十年間増収分を厚く取ることで財力を増してきた中央財政が急速な勢いで地方への移転支出を増加させていることだ。

 グラフにこのことを示す地方歳入の内訳の推移を示した。分税制導入直後の96年は移転支出と言っても、上述の既得権益戻し(「税収返還」)が大半を占めたが、その後補助金や交付金など本来の意味の移転支出が急増していく様が見て取れる。2003年はこの裁量的な部分だけでも5000億元近い。邦貨に換算すれば6兆5000億円、物価水準を考慮すれば、既に少なくない金額だ。

 最近の中国の新政策は中央主導で打ち出されるものが多い。昔と違って、地方に号令をかけるだけでなくカネも付ける。加えて法令に基づく行政という新しいスタイルが定着しつつある。中央官庁が出す新たな法令・通達の類の数の多さは「1省庁あたり数百人しか職員がいないのに、よくもあれだけたくさん」と思わせるくらいだ。

 拡大の一途の地方格差を見て、日本には「中国連邦」化論者が多い。しかし、中国も格差拡大を前に拱手傍観している訳ではない。カネの流れから見るかぎり、いまの流れは「分権・分裂」より「集権・統一」の方向だ。カギは国債発行残高も増え続けている財政の長期的サステナビリティ(維持可能性)である。

■胡錦涛・温家宝政権は「リベラル」派? −恵まれない階層への支出が急増

 ところで、中央財政は地方への移転支出を何に使っているのか。

 ・・・農民への減税財源(地方減収補填)、失業保険・再就業支援対策費、都市貧困層への生活保護や退職者年金費(給付水準引き上げ)、内陸の貧しい基層地方政府への財力補填、少数民族地域での義務教育増強費・・・

 これまで財政にカネがなかったせいで放ったらかしになっていた弱者への支出を急速に増やしているのだ。米国流に言えば「リベラル」な政策である。「福祉国家」など、まだおこがましくて口に出来ないが、胡錦涛新総書記を選出した2002年秋の第16回共産党大会は「2020年に『全面小康』を実現する」(国民全てがそこそこの生活をできるようにする)目標を採択した。号令だけかと思ったが、こうしてカネも出している。日本流に言えば「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法第25条)まであと16年、前途はまだまだ険しいが、新しい一歩を歩み出したというところか。

 ドラスティックな改革開放に突き進んだ90年代から、すこしは国民の生活を思いやる「リベラル」な2000年代へ・・・喩えて言えば、「改革開放」に邁進してきた中国が、最近ふと鏡を見たら、19世紀の資本主義のように弱者に苛酷で猛々しくなっている自分の姿に気付いた、とでもいうようだ。

 中央財政に財力がついてこなければ起こし得ない変化である。厳密に言えば、江沢民時代の末期に変化の萌芽は表れていた。しかし、民衆も含めて世間はこれを「胡錦涛・温家宝政権の特徴」と見て、彼らを「親民政権」と呼んでいる。これは10年、あるいはもっと周期の長い中期的変化の表れだと言えるだろう。

■「農民戸籍」撤廃による人口移動促進

 もう一つ、最近驚かされた変化がある。伝統的な「農民戸籍」制度の撤廃の動きだ。

 「中国の農民は戸籍で土地に縛り付けられている、都市に短期の出稼ぎに行くことはできても、移動の自由がない」それが中国に関する常識だった。おまけに医療、社会保障など、様々な社会制度も農村と都市ではまるで違う。「城・郷分治」とか「一国両策」とか言われて、中国農民は永く「二等国民」扱いされてきたのである。「一等国」を目指すなら、こんな差別は是非とも解決しなければならないはずだ。

 昨年3月から広東省、福建省、浙江省、江蘇省などで、「農業戸籍」、「都市戸籍」といった戸籍の区分を廃止して「住民戸籍」に一元化する「実験」が始まった。農民が省内外から都市に転入する門戸を開き始めたのである。人気の高い上海市は依然外部からの流入を制限しているが、それでも市内の農民が都市部に移住して都市住民になれるようにした。

 もちろん誰でも転入して戸籍がもらえる訳ではなく、都市に住宅を買って持つことが条件とされることが多い。だから貧乏な農民は依然対象外。しかし、ともかく戸籍を取れば、子供の就学、就業、社会保障などは差別無く受けられるようになった。

 試行地域はまだ一部だが、もちろん中央手配の新政策だ。農民の都市転入に道を開いたのは、国民の間の差別をなくす社会の進歩であるが、背景にあるのは地域、所得の格差問題である。結局、都市と農村の格差は所得の低い農村から高い都市への人口移動なくしては解決しないのである。余剰労働力を抱える農村が人口を吐き出せば1人当たりの所得は上昇する。労働生産性の低い農村から都市に人口が移動すれば経済全体の生産性も向上する。要するに4〜50年前の日本と同じ経路をいま辿ろうとしているのである。

 うまくいけば、中国の経済・社会に大きく貢献する農民戸籍廃止だが、その一方でリスクも大きい。人口移動が本格化したとき、田舎出の新住民を大量に受け入れる都市の治安や安定はどのような影響を受けるだろうか。

 もっと深刻なのは雇用・就業の問題である。都市が人手不足なら、うってつけの方策だが、実際には就業難が待っている。そこに農村からの新規労働力を注ぎ込めば、就業問題はますます深刻化する。農民戸籍撤廃の実験がまず、広東省、福建省、浙江省、江蘇省など南の沿海部で始まったのは、経済が順調で新規雇用力の吸収力が最も高い地域だからだ。

■「中国台頭」が世界にもたらすもの

 中国がもたらす変化は国内だけで起こっている訳ではもちろんない。この二、三年の間、「中国台頭」が外界に及ぼす影響を日本経済界はまざまざと見た。「中国特需」という形で。政治外交の場でも中国のプレゼンスは日増しに高まっている。G9入りなども時間の問題だろう。

 経済面でも中国台頭は「特需」にとどまらない周期の長い変化を外界にもたらし始めた。最近「中国特需の爆発」で鉄鉱石などの原材料や用船価格が急上昇した。90年代を通じて、あるいは過去四半世紀の間、世界で続いてきたディスインフレないしデフレの景色が変わり始めたような気もする。デフレが止まるのなら良い報せだが、そればかりではなさそうだ。先進国の一部業種・企業は川上で原材料高に遭遇する一方、川下の製品市場では「中国コスト」のせいで価格転嫁が進まない、マージンが減少するといった事態に遭遇する可能性がある。中国台頭が先進国経済にもたらす第二の構造改革の圧力波だ。

 他方、良い報せもあるかもしれない。ディスインフレの時代は「北」の先進国ばかり得をして、「南」の途上国や資源国がずっと損をしてきた印象がある。懸案のWTO新ラウンドが頓挫してしまったことも、「自分たちはちっとも実入りがない」という南の不満が背景にある。この南・北の利害得失が変わらないと、ラウンド交渉の機運も恢復しないだろう。そう言えば、ITバブルも崩壊したいま世界を見渡すと、北の先進国に更なる成長の材料が乏しいことを痛感する(あるのは「中国特需」くらいではないか)。それなら、ここで少し「南」にバトンを渡すべきなのかもしれない。そして、中国の台頭がそのきっかけを作るなら、それは別の新しい「雁行」モデルになるかもしれない。先頭がでかすぎるせいで後続国は大変ではあるが、インド、ブラジルの台頭などもやがて周辺に「中国特需」的な変化をもたらすとしたら、それは世界の景色を変える変化になるだろう。

 はっきりしていることは、良きにつけ悪しにつけ我々がそこから受ける影響はますます大きくなるということだ。今度は極端に振れずに、成り行きを複眼的に見据え、対処を誤らないようにしたい。

(2004年3月28日)