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ブログ 津上俊哉
日本人の死生観について

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                      日本人の死生観について
                      靖国神社参拝問題に思う


 靖国神社をめぐる日中対立の中で、日本はよく中国との「死生観」の相違を援用する。日本では人は死ねば誰でもホトケ様になる。「極東裁判で死刑になったA級戦犯もそうして罪を贖った以上、冥福を祈ってやってもよいではないか」と、日本人は思う。
他方、中国では罪人は死んでも赦されず、死後墓まで暴かれる。死刑になったA級戦犯を神社に祀り、その神社を国家指導者が参拝するのは、「A級戦犯に罪はない」と思っているからだ・・・中国人はそう思うが、その憎しみの激しさは日本人には随いていけない。彼我の懸隔はたしかに大きい。

 ただ、この死生観の相違に同意したうえで思うことがある。死生観をめぐる日本の伝統習俗は、「人は死ねば誰でもホトケ様」だけに終わるものではないことだ。たとえば、「非業の死を遂げた」者は祀ってやらねばならない。壇ノ浦に滅びた平家などもそうやって祀られた一例だろう。そこには「哀れむ」心という伝統習俗があるはずだ。非業の死ばかりでなく動物や使い古された廃棄物まで「供養」する慣習があるのだから念が入っている。さらに日本人の深層心理に分け入っていくと、非業の死を遂げた者が「鬼」や「怨霊」と化して「祟る」ことを恐れて祀るという伝統習俗がある。聖徳太子、菅原道真、平将門など、そうして祀られた多くの例がある。

 しかし、伝統習俗のこの側面が中国をはじめとするアジアで帝国日本の犠牲になった被害者たちに及ぶことがないのはなぜだろうか。まさか南京に虐殺被害者を祀る神社を建立する訳にはいかないだろうが、「人は死ねば誰でもホトケ様」論を言う一方で、中国人の犠牲者を「哀れ」んだり、その「祟り」を恐れたりする気持ちにならない「不対称」が気になる(「哀れむ対象は日本人かぎりで域外不適用」の決まりでもあるのか、さもなければ「怨霊も海を渡って日本まで祟りには来ない」と高をくくっているのだろうか)。

 死生観をめぐる伝統習俗の差異は確実に存在する。しかし、「人は死ねば誰でもホトケ様」論は「だから靖国参拝に干渉するな」論の前段だ。差異があるとはいえ、承服しがたい一面だけ示されても、中国が「なるほど」と納得するとは思えない。しかし、日本人が同時に犠牲になった中国人も日本式に祀り、あるいは供養している、ということがあれば、靖国問題について中国人の心の扉を開くなにがしかの扶けになりはしないか。逆から言えば中国人の心を慰する要素が何もないでは、「伝統習俗」を持ち出したところで和解は到底覚束ないし、日本人の人格が誤解を受けてしまう。

 さて、犠牲者を祀る日本の伝統習俗が中国の被害者たちには及ばない不思議と書いたが、実は「皆無」ではない。知るかぎりでは熱海市に「興亜観音」がある。南京で大量の暴行掠奪殺傷と中国軍俘虜処刑(いわゆる「南京大虐殺」)が行われてから3年後の昭和15(1940)年に「日中戦争(支那事変)での日中両軍の戦没者を“怨親平等”に、ひとしく弔慰、供養するために健立」されたものだ。
 建立したのは南京虐殺事件当時の上海派遣軍司令官、松井石根大将だ。松井大将は極東軍事裁判で事件の責任を問われて処刑されたA級戦犯7名の1人だが、当時の言葉でいう「支那通」軍人でアジア諸民族の自立と団結による「興亜」を信条とし、南京陥落後の自軍兵士の甚だしい非行を知って泣いて怒った人でもあった。「日中両軍の戦没者」を供養する興亜観音建立の趣旨は伝統習俗のもう一つの側面にも適っている。そういう観音様が戦中に建立されていたことには何か救いを感ずる。

 興亜観音には建立者松井大将ばかりでなく処刑されたA級戦犯7名全員、BC級戦犯数千名も供養されている。ある意味で戦前の日本と日本人全体を代表して死んだ人たちである。軍事裁判に見られた数々の不条理、遺族は遺骨すら返してもらえなかったことなどを考えると、日本の伝統習俗に照らして、彼らを「哀れみ」、祀ってやらねばならないという流れになるのは自然なことと言える。戦後日本が大いに繁栄しただけに、彼らを祀ってやらねば「祟り」になるという見方もできよう(靖国神社への戦犯合祀にこの側面を見る人もいる)。

 しかし、それならなおさらのこと、日本のせいで非業の死を遂げた多くの中国人も同時に供養する気持ちを新たにすることが必要ではないか。それが建立者松井大将の遺志を尊重する所以でもあるはずだ。中国で日本軍がした数々の罪深い行いは否定のしようがない(紛議の絶えない犠牲者数の統計は横に措いても「多くの人」を殺し、苦しめてしまった)。戦後生まれの我々が罪責感を持つべきだとは思わないが、日本軍の行いが犠牲者や遺族にとって、いったいどういう出来事だったか、相手の立場に立って想像力を働かせることができれば、そこにも伝統習俗に根ざした人間らしい感情が生まれるはずだと思うが、「知らない」のではどうしようもない。事実を知ろうとすることを自虐と決めつけるべきではない。それは日本人自身の成熟のためにも、隣人に日本を理解させるためにも必要なことだ。
(平成17年11月15日記)




 

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