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ブログ 津上俊哉
日中戦争はなぜ泥沼化したか

新年にそぐわない暗いテーマ、しかも例によって長文で恐縮ですが・・・


              日中戦争はなぜ泥沼化したか


  1937年の濾溝橋事件が泥沼の日中戦争に発展してしまったのは何故か。最近何冊かの本を読んだのがきっかけになってこの問題が頭から離れないので、正月休みを使ってお復習いしてみた。
  泥沼化の過程には幾つかの段階があった。第一段階、7月7日濾溝橋の日中両軍間で発砲事件が発生する。中国側は柳条湖事件(石原莞爾らが計画したヤラセ事件で満州事変につながる)に続く日本の陰謀と捉えているようだが、真相は未だに謎であり、偶発的衝突の色彩が濃かった。直後から事態収拾のための努力も行われたが、その後1ヶ月あまりの間に抗日テロ事件(注1)が何度も起きて日本国内には「暴支膺懲(暴戻なる「支那」を懲らしめる)」論が一気に盛り上がっていく。
  第二段階、8月中旬在留邦人保護のため上海に海軍が増派されたことがきっかけになって本格的な戦闘が始まる。相手は戦意旺盛な国民党軍精鋭、双方甚大な損害の出る激戦になったが、日本軍はこれを撃破して民国政府の首都南京に向かって北進する。しかし、この頃の日本では「ガツンと一発見舞えば中国は恐れ入る」という楽観論(「対支一撃論」)が支配的で、陸海軍を増派しても長期全面戦争に突入するまでの覚悟はなかったという。ドイツを仲介者とする和平調停(トラウトマン)工作も並行して始まった。
  第三段階、12月13日首都南京が陥落するが国民党政府は武漢に逃れて抗戦を続け、戦争が泥沼化していく。和平工作は続いていたが、日本が講和条件をつり上げたりしたため妥結は難しく翌年1月その打ち切りを決定、「爾後、国民政府ヲ対手トセズ」という有名な近衛声明が出されて長期全面戦争に突入してしまう。

  次に、幾つか押さえておくべき背景事実がある。第一、日本の対中侵略は華北で傀儡政権の樹立を謀らむなど濾溝橋事件前から新しい段階に入りつつあった(注2)。
  第二、これを見て中国国民の反日気運はいっそう激しく燃え上がった。1936年には国共合作をもたらす西安事件(張学良による蒋介石軟禁事件)が発生し、抗日テロも頻発し始めた。中国ナショナリズムのただならぬ変化を見て、日本では識者だけでなく陸軍内部でも対中政策を見直す動きが起きたが実を結ばなかった(後述注3参照)。
  第三、それは当時日本では中国を弱国として軽侮するムードが支配的だったことが大きく影響している。このムードに乗っかって世論もマスコミも楽観的かつ好戦的だった。国民は対日テロ頻発を見て一気に「暴支膺懲」論に傾いていき、戦争が本格化した後も南京、漢口(武漢)、と主要都市が陥落する度に日本各地で祝賀の提灯行列が盛大に行われた由だ。
  第四、やや意外だが、満州事変の首謀者石原莞爾を中心とした陸軍の一部は、北方で対ソ戦に備えることこそ焦眉の急だと考えて、新たな傀儡政権樹立など中国にこれ以上手を出すことに反対、濾溝橋事件後も事変拡大につながる動きに反対していた(注3)。ところが、この慎重論を政府(近衛内閣)と軍の別の派の強硬論が押し切ってしまう。内閣の強硬姿勢の後ろにも軽侮ムードに乗っかった好戦的な世論があった。
  やがて何発見舞っても「中国は恐れ入」らないことが明らかになる。国家総動員法の施行など急速に戦時色が強まる中、国民の間には泥沼化する戦争に対する不安が拡がるが、「時すでに遅し」であった。

  冒頭に書いた、最近読んだ本の一冊は「ワイルド・スワン」で有名な女流作家、張戎の新作「マオ 誰も知らなかった毛沢東」(講談社)だ。毛沢東を告発する衝撃的なエピソードを満載した本だが、日中が全面戦争に突入していく過程について気になる記述があった。
  簡単に言えばソ連のスターリンが黒幕であり、北方でソ連に対峙する日本軍の兵力を分散させるために、南方で日中戦争を起こす策謀をしたというのである。とくに、国民党軍京滬(滬は上海の意)警備司令官張治中将軍は、実はソ連が早くから送り込んでいた冬眠スパイで、この将軍が独断で大山事件(注1参照)を引き起こし、戦線拡大に消極的だった蒋介石を引きずって「上海で全面戦争を起こして日本を広大な中国の中心部に引きずり込む」ことに成功した、これによりソ連はソ満国境から日本軍を遠ざけるのに成功し、中国共産党も国民党軍の弱体化に成功した、というのである(同書上巻第19章)。
  舞台は違うが類似の指摘をする別の本がある(鳥居民著「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」草思社)。この本は当時の日本で著名な中国専門家であり、総理官邸にも出入り自由だった尾崎秀実(後にソ連のスパイ、ゾルゲ事件で死刑)の行動に注目している。尾崎は、濾溝橋事件直後は「長期戦の泥沼に落ち込む」と戦争拡大に反対だったのに、南京陥落直後(1938年前半)の上海出張から戻ったとたん、執筆、講演など手を尽くして「武漢を攻略せよ」とアジっただけでなく、後日これを「私の生涯での最も有意義な仕事であった」と述懐したというのである(同書第2章)。鳥居氏は、その背後に日本軍の矛先を国民党軍に向け続けさせるための中国共産党の謀略、さらにその背後にソ連の謀略があったはずだと推論している。

  両書とも謀略のどこまでがソ連の差し金で、どこまでが中国共産党のそれなのか判然としないのだが、読んでショックを受けた。と言っても、謀略を弄したとされるソ連や中国共産党を恨みたい訳ではない。どだい、他人の家に押し入って狼藉を働いているさなかの話である、「おまえのせいでこうなった」だの言える筋合いではない。それに外交軍事に謀略はつきもので、とくに戦争に直面している国は生存を賭けてあらゆる手段を使う。ものが見えていない、隙がある国が謀略にハマるのである。
  ソ連との兼ね合いで言うと、これは日露戦争当時の明石大佐による謀略を倍返しで仕返しされたかなと、ふと感じた(注4)。日露戦争のときは日本側が必死でロシア側に驕りと隙があった、1930年代はそれが逆転した。

  両書が指摘する謀略があったのだとしてもハマった日本がバカだったのだが、謀略がなければ全面戦争に至らずに済んだのかが気になって、冒頭のお復習いをしてみた次第だ。
  自分なりの結論を言うと、謀略はあったかもしれないが、せいぜい「最後の一押し」程度の役割に過ぎない。張治中将軍がいなければ全面戦争にはならなかったか? 答は否だ。国民党軍だけでなく中国人全体が「日本憎し」で固まっていたのだ。中国の反日感情がそこまで高まったのは、満州国の二匹目のドジョウを狙った日本の侵略姿勢があったからだ。もちろん途中から引き返す努力も行われている。しかし、総体として当時の政治も世論も情けないほど愚かで、ものが見えていなかった。謀略が無くても日中両軍間には可燃ガスが充満しており早晩暴発しただろう。
  結局、日本はその後亡国の一歩手前まで、ツケを払わされた訳である。とくに、そうなった原因として当時日本が上から下まで対中軽侮の固定観念に囚われていたことが強く印象に残った。一つの考えに囚われると、ものが見えなくなる。

  最近の日中関係はどうか。「歴史カード」という日本側の強迫観念にせよ、総理靖国参拝を理由として外交行事を軒並みキャンセルしてしまう中国側の対応にせよ、危うく嘆かわしいかぎりである。日中関係が大事に至らなくても、得べかりし機会と利益を逸失し、売られなくてもよい恩を他国から売られるなど、双方の国益は日々着実に毀損している。周囲の国は呆れ顔、迷惑顔だが、こういう自損行為を見ると機に乗じようとする第三国も出てくるのが国際社会だ。新年はもう少し歴史に学び、「ナントカは死んでも直らない」に陥らないようにしたいものだ。    (平成18年1月4日記)


注1:7月29日いまの北京郊外通州で起きた日本人(元朝鮮籍の者を含む)200名以上の虐殺事件(通州事件)及び8月9日上海で起きた中国保安隊による大山海軍大尉らの射殺事件(大山事件)に代表される抗日テロ事件。

注2:内蒙古における傀儡政権作りの試み(1936年11月の綏遠事変につながる)、華北における傀儡政権樹立の試み(「北支分治工作」)や「冀東密貿易」(いまの河北省・天津あたりに樹立した傀儡政権の走りと「協定を結んで」正規の関税を払わずに日本製品を大量に輸入させ、国民政府の財政と中国経済、民族産業に大きな打撃を与えた)などに代表される。

注3:1935年頃ソ満国境における日本軍の明白な軍事劣勢(概ね10対2?3)が明らかになり、驚いた石原莞爾らは対ソ防衛強化こそ焦眉の急だとして「重要産業五ヶ年計画」作りなど対策に奔走した。石原のいた参謀本部はこの見地に立って、西安事件直後には「北支分治工作」の撤回を提唱しているし、濾溝橋事件後石原が左遷された後も石原派の部下が和平工作打ち切りに反対して粘ったが、駄目だった。

注4:明石元二郎大佐(当時ロシア公使館付武官)は日露戦争当時、ロシアの背後で地下の革命運動家レーニン一派にふんだんに資金を提供するなど謀略工作を行い、首都で要人暗殺や工場のサボタージュを頻発させ、日露戦争勝利に貢献したと言われる。帝政ロシア時代のことだが、彼の国は政体が変わってソ連になった後も日露戦争の敗北をずいぶん根に持っていたようである。スターリンは日本がミズーリ号で降伏文書に調印した1945年9月2日のラジオ演説で、この敗北を「我が国の汚点」と呼び、「この汚点が一掃される日が訪れた」と言っている(佐藤卓己著「8月15日の神話」(ちくま新書)。




 

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