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ブログ 津上俊哉
東電経営・財務調査委員会報告に思うこと

6月にポストした「「発・送電分離」 論に思うこと」に続いて、電力問題門外漢による領空侵犯第2号です。昨日記者会見で発表された報告について感じたことを述べてみました。


東電経営・財務調査委員会報告に思うこと
これで誰が幸せになれるのか



  昨3日、東京電力に関する経営・財務調査委員会が記者会見を行って発表した報告書が物議をかもしている。

  この報告書は、先に成立した原子力損害賠償支援機構法により、設立された原子力損害賠償支援機構が東電の申請を受けて作成する 「特別事業計画」 (同法45条) の 「叩き台案」 (記者会見での西山事務局長説明) としての意味を持つものだ。

  本稿執筆時点では報告書の簡単な要約版が見られるだけだが、これをもとに私なりに整理すると、内容は大略以下のようになる。「第三者委員会」 の手になる報告だが、現時点における政府の方針を色濃く反映したものと見てよいだろう。
(1) 事故による損害の見積もり:初年度分及び 「一過性」 の損害賠償だけで合計3兆6千億円強、このほか次年度以降も毎年約9千億円ずつの損害が発生すると試算

(2) これを如何に賄っていくかを検討する前提として、今後の東電事業について、需要の想定、設備投資の見積もり、東電の財務現況の把握を行う

(3) 国民負担軽減のために、東電には最大のリストラをやってもらう:調達改革及び人件費削減 (含む年金・退職金) などにより10年間で約2兆5千億円のコストを削減、資産・事業の売却により約7千億円の捻出を見込む

(4) 以上の前提に加え、今後の料金値上げの比率、原発再稼働の有無のシナリオ毎に、場合分けしてシミュレーションを行う:結果として、値上げは不可避だし、原発再稼働 「無し」 では 「著しい料金値上げをしない限り困難」。また楽観的なケースでも、東電には相当の資金不足が生じ、その調達方法を検討する必要がある

(5) 関連して、現行料金制度は原価、報酬率のいずれにも大きな問題があり、改善が必要なことを指摘。また、積み残した検討課題として政府と電力会社の関係のあり方、発送電分離、原発の運営主体、リスク負担、バックエンド費用問題等を列挙

  政府方針の 「キモ」 を一言で言えば、東電自身には最大限のリストラをやってもらうことで国民負担軽減を図るが、金融機関や株主の責任は問わない (債権カットや強制減資は求めない) ということに要約される。政府も関係閣僚も、原子力損害賠償支援機構法案の審議の過程を通じて 「国民負担の極小化」 の方針を繰り返し述べてきたから前段は当然だが、「金融機関や株主の責任は問わない」 ことを委員会が明言したことは驚きだった。

 なぜ、金融機関の責任を問わないのか

  この点を巡っては、賠償支援機構法案の立案当時の枝野官房長官 (現経産大臣) が再三 「責任を問う」 姿勢を明らかにしていたし、同法にも 「(賠償) 資金を確保するための原子力事業者 (東電) による関係者 (金融機関や株主?) に対する協力の要請」 (45条2項3号) といった形で、その発想が 「頭出し」 されていたはずである。

  それにも関わらず、「責任を問わない」 理由として下河辺委員長が会見で明らかにしたのは、いろいろなシミュレーションをしても、東電は 「資産超過」 という結果になり、これで金融機関や株主の責任を問えば 「法律的に最低限の理屈も通らない」 ことになるということだった。

  しかし、今年3月時点の純資産額が1兆6千億円、廃炉や余剰資産売却による変動を加味すると1兆3千億円足らずの純資産しかないと査定された東電が上述(1)の巨額の賠償債務を負っても 「債務超過にならない」 のは何故か。からくりは、支援機構が今後東電に行う資金交付による援助を 「収益認識する」 ことにより賠償債務を相殺することを考えているからだ (要約版6頁「財務状況」)。

  その関連で、「調整後連結純資産には、既に発生した原子力損害賠償費を…反映をさせない前提」 とある。私は、東電が自力で賄いきれない不足額分について資金援助が行われるのだと思いこんでいたが、実は賠償債務が純資産に影響しないように、支援機構が全額を提供することも会見で明らかになった。

  数兆円にのぼる賠償を最初からオフバランスすると決めれば、東電が 「債務超過」 に陥らないのは当たり前、「資産超過」 は絵に描いたような 「結論最初にありき」 である。過去の報道によると、支援機構法案の原案は某銀行が持ち込んだと言われ、当初から 「政府は金融機関を免責するつもりだ」 と取り沙汰されてきたが、昨日の会見で、果たしてそれが政府方針であることが明らかになった訳だ。(注)

  しかし、それならば、上述した 「関係者に対する協力の要請」 という条項は何故盛り込まれたのだろう?「資産超過でも債権カットに協力して欲しい」 と頼むつもりだとでも?そんな要請に応ずれば、銀行経営陣は直ちに株主代表訴訟で訴えられるだろう。ひょっとして、この条項は 「迷彩」 だったのだろうか。

 東電が今後機構に納める「特別負担金」とは何か

  支援機構法のヘンなところは他にもある。そもそも機構が行う資金交付とは、いったいどういう性格のカネなのだろう?贈与なのか、それとも貸付なのかがまったく明らかではないのだ。

  支援機構法52条には 「特別負担金」 という定めがある。
 第四款 負担金の額の特例
第52条  認定事業者が、当該認定に係る特別期間内にその全部又は一部が含まれる機構の事業年度について納付すべき負担金の額は、第39条第1項の規定にかかわらず、同項の規定により算定した額に特別負担金額(認定事業者に追加的に負担させることが相当な額として機構が事業年度ごとに運営委員会の議決を経て定める額をいう。以下この条において同じ。)を加算した額とする。
2  特別負担金額は、認定事業者の収支の状況に照らし、電気の安定供給その他の原子炉の運転等に係る事業の円滑な運営の確保に支障を生じない限度において、認定事業者に対し、できるだけ高額の負担を求めるものとして主務省令で定める基準に従って定められなければならない。

  引用されている39条とは、東電以外の原子力事業者も支援機構の業務に要する費用に充てるために納付させられる 「一般負担金」 (いわば電力業界全体で負担する 「奉加帳」) に関する規定だ。機構の支援を受ける東電の場合は、これに加えて、特別の上乗せ金を払う義務が生ずる。これが 「特別負担金」 という訳だ。

  機構が行う資金援助の性格は、この特別負担金を東電にどのように納めさせるかによって全く異なってくる。例えば、長い時間がかかっても援助された資金総額 (少なくとも元本) に達するまで特別負担金を払い続けよ、と求めれば 「貸付」 に近付く。そういう上限に達しなくても、ある時点で特別負担金納付を廃止するとすれば、差額分は 「贈与」 されたことになる。

  問題は、その特別負担金は 「できるだけ高額の負担を求める」 としか決まっておらず、その性格は 「主務省令で定められる」、つまり役所の裁量に委ねられていることだ。支援機構の資金援助の財源は国債、つまり国民負担だ。その負担のどれだけを東電に償わせるかで、原発事故による国民負担の総額が定まることになる。せめて 「一定の期間において特別負担金の累計額が機構の行った資金援助を償うように主務省令で定める」 とか、資金援助の性格・思想を示す何らかの拘束を法律でかけるべきだったのではないか。

  勘繰ると、役所はこの点を 「確信犯」 的に曖昧にしたのだと思う。というのは、「受けた援助と同額をやがて納付しなければならない」 といった思想を明らかにした途端、それが 「債務」 と認識され、「東電債務超過」 (よって、金融機関は免責されない) 恐れが復活してしまうからだ。資金援助は、まずは 「収益」 (つまり 「いただき」) にして、「特別負担金」 とは切り離しておく必要があったのだと思う。

  兆円の単位で国民の利益に影響する問題を、簡単に役所の裁量に委ねてしまう…この発想は昭和の旧い役所そのままだと感じた。民主党は同法案の制定・審議の最中に 「菅降ろしの工程表」 にばかり気を取られて、役人が作ったこの案を唯々諾々と承認してしまった、野党 (自民党) も何ほどの問題も提起せずに法案を通してしまった。在野には懸念も問題点の指摘も対案もあったにもかかわらず、である。これでは 「政治主導」 も何もあったものではない。遺憾と言うほかはない。

 国と東電の責任の 「水槽」 はパイプで繋がっている話

  こう言うと、「国民負担の極小化」 を旗頭に掲げる正義の味方みたいでカッコよく見えるが、実は、私は 「そう簡単な話じゃない」 と考える者でもある。と言うのは、「国」 は、前官房長官が記者会見で言い放ったみたいに 「東電のリストラはもちろん、金融機関も債権カットに応じるべきだ、さもないと国は支援しない」 と 「上から目線で」 ばかりモノ言える立場じゃないと考えるからだ。

  事故を起こした福島第一の原子炉は国の安全審査をパスしている (原子力安全委のダブルチェック、通産大臣の設置許可)、それだけでなく事故の発端になった 「長時間にわたる全電源喪失」 事態は 「考慮しなくて良い」 ことが原子力安全委の審査基準に明記してあるという。

  上記の経緯がある以上、国は事故被害者から東電に連ねられて損害賠償の訴えを起こされれば、敗訴は免れないと思われる。国は 「東電を支援してやる」 という前に、己の責任を問われる 「共同被告」 なのである。

  そうすると、どうなるか…被害者原告は裁判で勝てば、換金できそうな資産をあらかた売却済みの東電ではなく、国の資産を目指して差し押さえをかけるであろう。後は共同被告の東電に対して、国が内部求償することになる。

  喩えて言うなら、国と東電の責任は、二つ並んだ水槽の水位みたいなものだ。東電の責任を厳しく追及することは、水を東電の水槽に移すことで国の水槽の水位(=国民負担)を懸命に下げる努力に喩えられるが、残念なことに、二つの水槽は地下のパイプで繋がっているのである。「上から目線」 で事は片づかないと思うのは、そう考えるからだ。

  国と東電の責任分担比率をどのように定めるか…支援機構法にどう定めてあるかに関わりなく、「国=国民負担」 の額を最終的に決めるのは、経産省・財務省でも、官邸・国会でもなく、司法プロセスにおける裁判所である可能性があるのだ。東電勝俣会長は持論である 「原子力損害賠償法による免責」 主張を、その日のために封印しているのかも知れない。この点も、私が 「支援機構法は出来が悪い」 と思うもう一つの理由である。

 やはり 「破綻処理」 を選ぶべきだった

  さて、話を元に戻す。私は 「国民負担の極小化 (あるいは合理化)」 のために、東電はやはり 「法的破綻処理」 するという前提の下に支援の仕組みを作るべきだったと思う。つまり、賠償額をオフバランスせずに債務超過を認定し、金融機関や株主にも応分の責任を負ってもらった上で、資本を増強して債務超過を解消するやり方である。

  一昔前まで、企業を 「破綻処理」 すると聞くと、会社は潰れて消滅、従業員は路頭に迷う、需要家も、東電に例を取れば 「電気が来なくなる」 かの如く受け取る向きがあったが、日本のJALや米国のGMもそうだったように、これは 「企業再生」 の前処理なのである。

  資金援助 (=資本増強) の仕組みも、少なくとも注入額までは回収を目指す 「優先株」 等の形式を採るべきだった。それで 「二つの水槽」 問題が消える訳ではないが、「国・東電(=加害者) 対 被害者」以外の東電 対 「関係者」 との利害関係が、いちいち 「個別対応」 しなくても会社法の考え方・仕組みで整理できる。

  これに対して、現行案では株主に強制減資の責任を取らせるどころか、株主から 「資産超過である以上、なにがしかの配当はあって然るべき」 という要求が出てきても、「国民感情」 論で対抗するしかない。何と原始的なことか。

 現行の仕組みで誰が幸せになるのか

  そう考えるもう一つの理由は、免責される金融機関や株主を除けば、現行の仕組みで、いったい誰が幸せになるのだろうかと感じるからだ。東電はこの仕組みのせいで、「何処まで続く泥濘ぞ」 の道行きを運命づけられる。経産省など 「主務官庁」 は特別負担金の裁量権を握った以上、「活かさず殺さず」 式で東電に言うことを聞かせようとするだろう。限度額も終期も見えない負担金…そんな企業で働く東電社員は幸せになれるだろうか。「主務官庁」 はそうやって握った旧い裁量権をどのように行使して電力行政を進めるのだろうか。ヌエのような負担金の軛を負った東電は、新しい電力行政に随いて来られる企業なのか…。

  以前本ブログで、東電の社員達にも 「再生・再出発」 の意気込みを持たせるべきだと書いた。その点から言っても、東電は 「破綻処理」 し、債務を軽減するなど、「新生東電」 として再出発させられるように図るべきではなかったか。

  いまさら言っても遅い、かもしれないが、わずかなグッドニュースは、今回の調査委員会の作業でも、東電の現状を把握するために、会計士や弁護士などプロフェッショナルがたくさん投入されて、旧い霞ヶ関の流儀に多少は新風を持ち込んだのではないかと思えることだ。今からでも、既に出来た枠組みの制約の下でもよいから、旧い仕組み、旧い発想を少しでも刷新する取り組みを進めてほしいものだ。
(平成23年10月4日 記)

注:なぜ、役所がかくも金融機関の免責にこだわったのか?については、「密室の利権ディール」といったマスコミ受けしそうな見方とは別に、一つそれなりの背景があるようだ。

  つまり、東電その他の電力会社は、かなりの資金調達を普通の銀行借入でなく社債の発行によって賄ってきたところ、電気事業法37条により、東電が発行する社債は、「特定の担保を付けなくとも、社債権者が社債の発行会社の全財産について、他の債権者に優先して弁済を受けられる権利 (一種の先取特権) が付与されている」 いわゆる 「一般担保付き社債」 である。

  このため、そういう社債権者に債権カットを求めると、債権の効力で劣後する原発事故被害者の賠償債権は当然全額カットの憂き目を見ることになる、これはとうてい許される話ではない、といった考え方が、事故後の5、6月頃、霞ヶ関を席捲したらしいということだ。

  これは一理ありそうで、実はない話だと思う。法律で決まった話なら法律で変えられる。例えば、まずは債権理論どおり、賠償債権が劣後する結果になっても構わない、しかる後、法律の定めで賠償債権を国 (支援機構でもよい) が肩代わりして保護する、国が支援した金額は、別途 (「思想」を持った 「特別負担金」 等の形で) 東電に納付させる、ことにすれば、問題を解決する途はあったと思われる。

  私は経産省 (エネ庁) が金融機関の利益のために 「悪役」 を買って出る理由はないと思う (たとえ、事故直後に東電への緊急融資を要請したとしても、それはそれで別に保護すればよい)。役人が敢えて金融債権を別扱いするには、それなりの 「大義」 があったように思うし、伝えられた枝野前官房長官の 「債権カット」 発言に対して、エネ庁長官が (オフレコ発言ながら) 「今までの苦労はいったい何のためだったのか」 と不満を漏らしたと伝えられることも、その文脈で初めて合点がいくと思う(金融機関の利益のために苦労したことを訴えても、批判を受けるだけである)。

  しかし、その大義の前提として考えられた債権の優劣関係は、決して 「他にどうしようもない」 問題ではなかったように思う。




 

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