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「遊牧民から見た世界史」(著者:杉山正明 京大教授)を読んで(後)

遊牧民族の歴史から「中華思想」のことを考える、の後編です。


      「遊牧民から見た世界史」(著者:杉山正明 京大教授)を読んで(後)


 本書は中国という隣国の「国柄」を今日的に考え直す材料もくれる。例えば、日本で中国が語られるとき、「中華思想だから・・」というのが常套句のように持ち出される。そこでイメージされる「中華思想」とは、膨張主義的な中華、漢族が秩序の頂点に立って四囲に朝貢を強要する関係、といったところだろう。しかし、中国史の実相が本書の描くような姿なら、歴代の中華王朝は四囲に朝貢を求めるより、自らが北の遊牧国家に朝貢していた時間の方が長い。
 そう考えると、「華夷思想」は意外や、夷狄に攻め込まれ、圧迫・支配を受ける側の見方だということになる。・・・いつも蛮族に攻め込まれるのは「中華」が偉大な文明として吸引力を持つためであり、我々「中華」はいつも攻め込んだ夷狄を同化してしまうのだ・・・「華夷思想」には、攻め込まれ、朝貢を余儀なくされる現実をそんなプライドで補償しようとする屈折した側面、日本で通用する「中華思想」とはずいぶんニュアンスが違う側面があるように感じる。

 「中華思想」のイメージに修正をせまる要因はそれだけではない。「中華」系王朝がユーラシアの少なくとも東半分を占めた栄華の時代というのが唐代、元代、清代と少なくとも3回あったが、本書を読んでハッとしたことが二つある。

 第一、鮮卑拓跋部の血筋を引く唐の太宗、李世民は初期唐朝が西の草原世界に進出した時期、内陸アジア諸族から‘天可汗’の称号を奉られた。 本書はこのことを引いて「支配される君長・住民たちにも、唐の間接支配を意外なほど無理なく実現せしめたひとつの要因」は唐朝の「拓跋国家」としての出自、つまり「鮮卑から匈奴に遡る牧民の伝統と血の意識」だったと指摘する。唐朝、元朝、清朝・・・「ユーラシアに広大な版図を実現した王朝は‘テュルク・モンゴル系’と無縁でない非漢族王朝に限られている」、それは草原世界の被支配者側が支配者の出自に親近感を寄せたからだ・・・。
 確かに、いくら軍事力で卓越しているといっても抵抗する異民族をいちいち武力で制圧していたら、あれほど急速な版図拡大はできまい(イラクの米国を見よ)。それにしても、元朝、清朝だけでなく唐朝までそうだったとは・・・。この補助線を中国史の上に引いてみると、いままで気付かなかった意外な「中華王朝」像が浮かんでくる。

 第二、中国史上最も世界史に残る業績を遺したのは元のクビライ政権だった。元朝というと「元寇の役」でも想起される征服・殺戮の王朝のイメージが強いが、その一方で世界史に残る業績を三つ遺した。なんと、ユーラシア草原出身のモンゴルがユーラシアのほぼ全域、インド洋・中東までを股にかける「海洋国家」を実現したのだ(注)。こうしたグローバル性は伝統的な「中華」の発想を完全に超えている。対比して考えるとき、歴史上の‘漢族’はローカルな存在だ。中国では最近、明代永楽帝に仕えた武将、鄭和がアフリカまで股にかけた大航海をして600周年というのが大きく取り上げられているが、以上の歴史を辿ると、鄭和のアドベンチャーも元朝の築いた「制度」の上に成就したものであることは容易に見えてくる(ちなみに鄭和はイスラム教徒)。

注:三つの業績は以下のとおり。
(1)ウィグル人やイラン(ソグド)人を政権で重用、中東ムスリム圏を包含する世界帝国を実現したこと。結果として版図が拡がったばかりでなく、 以下に示すように、世界帝国の抱負を抱いていた。
(2) 大都(いまの北京)から天津を抜く閘門式運河路→江南に届く勃海航路を建設、更には江南地方に蓄積しつつあった海運技術を活かし、遂にはインド洋を経て中東世界と中国を結ぶユーラシア海洋交易網を建設したこと(各地の通過税も廃止、いま風に言えばFTAを実現した)。
(3) 銅銭経済だった中国に中東・ユーラシアの銀貨経済を導入し、ユーラシア全域に銀決済を普及させたこと(後に南米産出の大量の銀が世界中に出回ったことが契機となって、銀決済が世界規模で普及、これにより資本主義が発達していくが、元朝はその素地の一つを作ったと言える)。

 さて、元朝は興隆の過程で多くの異人種を仲間に引き入れたことが成功の素だった。恐るべき騎馬軍団を持ち、残忍なイメージが強いが、実はそれほど殺戮を繰り返した訳ではない。むしろ真骨頂は、モンゴルの言葉で言えば「ブルガ(敵)を作らず、イル(仲間)を増やす」路線に従って異人種の知見と才能を吸収し、協力を獲得したことにあった。だからこそユーラシアの半分以上を版図にすることができたのだ。

 卓越した軍事力を持ち、グローバルなパラダイムを作れる複合体型の世界国家・・・往時の元朝に最も似ているのは今日のアメリカだ。最近は自分のことしか考えず、「ブルガ(敵)を増やし、イル(仲間)を減ら」しまくっているアメリカだが、そうは言っても、そのハード、ソフト両面のパワーは依然として他を圧する。
 そのアメリカに強い憧憬=劣等感と対抗意識を持つ中国だが、国際社会で本当にアメリカと張り合えるようになるような日が来るのかどうか・・・当分の間大それたことを考えない方が身のためだ。中国の国力がまだアメリカに到底及ばないから、だけではない。歴史的に漢族が抱いてきた「華夷思想」がグローバル国家の綱を張るのに必要な度量、心持ちに遠いからだ。

 「中華思想」に凝り固まり、周囲を支配するチャンスを窺う中国・・・ステレオタイプに嵌りやすいタチの日本人が抱きそうなイメージだが、本書はそういう意味での「中華」の歴史が、実は征服、支配する側というより、侵略され、支配される側であることが多かったこと、中国の真に偉大な成就は、実は‘夷狄’とされた非漢族が「華夷思想」とは対極的な「イル(仲間)を増やす」大連合路線に拠って達成したものであることを教えてくれる。
 これからの中国が国際社会で復権しアメリカと覇を競えるようになるためには、逆説的だが伝統的な漢族式「中華思想」をどこまで克服できるか、周辺異民族を仲間に引き入れるような度量とディール能力をどこまで獲得できるかがカギのように思えて本書を措いた。  (平成17年9月2日記)

「遊牧民から見た世界史」著者:杉山正明、日経ビジネス文庫所収、ISBN4-532-19161-0




 

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