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ブログ 津上俊哉
中国 「民主化」 の行方(上)

中国の将来に関する最大の「 ? 」、「共産党独裁体制」の行方についてです。例によって、また長文なので、二回に分けます。


                 中国 「民主化」 の行方(上)


  中国の将来に関する最大の 「 ? 」 は何かと問えば、まず間違いなく 「共産党独裁体制が何時まで続くかだ」 という答が返ってくると思う。 「民主化しなければ、このままでは済まないはず」 という認識と言い換えてもよいだろう。次に、「なぜそう思うか」 と問えば、多くの人が 「共産党や政府の腐敗、貧富の格差、地域の格差などの問題が深刻だから」 と答えるであろう。
  このような中国描写は日本のメディアに日常接している我々にとって見慣れたものであり、今日日本で通用する中国理解だと言ってよい。 「腐敗や格差に対する国民の不満が政治体制を揺るがしかねない大問題になっている」 との認識には私も賛成であるが、上述の物言いには、ちと違和感も覚えるので、少しアングルを変えてこの問題を考えてみたい。

  腐敗や格差問題は昨日今日起きた問題ではない。確かに、ここ数年間の目覚ましい経済成長が様々な格差をさらに拡大した面はあるだろう。しかし、 80、90 年代の共産党や政府は清廉潔白だったろうか。否。党や政府の高官の汚職や堕落は「いまも昔も変わらぬ」現象の代表格だ。いまと少し違うのは、権力闘争絡みでもないかぎり高官は検挙されたり、事件が公表されたりしなかったことだが、多くの人が 「街道消息」 で知っていた。
  格差の拡大についても、私が北京の大使館に赴任した 10 年前の中国には最近言われなくなった 「貧困人口」 という統計があったのを思い出す。文字どおりの 「食うや食わず」 、子供を小学校に上げることもままならぬ最低生活線で暮らす国民の数であり、それが 「何億人に減少した」 という 「明るい」 ニュースが発表されていた。格差は昔もけっこう酷かったのであり、いまは水準原点が動いただけ、と言ったら言い過ぎだろうか。
  話は飛ぶが、昔もいまも同じ現象といえば炭坑事故などの産業災害もそうだ。最近事故でいちどきに数十人、数百人が死んだといったニュースが大きく報じられると、指導者のクビが飛ぶ大問題になる。では、昔は大事故がなかったのか。否。これも報道されなかっただけである。
  そうしてみると、最近になって変わったのは、問題のあるなしというより問題に対する国民や社会の反応の仕方 (意識) 、つまり、腐敗や格差などの問題に対して国民が不満や怒りを表明するようになった、という変化ではないかと思えてくる。

  「共産党や政府の腐敗、貧富の格差、地域の格差などの問題が深刻化して共産党独裁体制がもたなくなる」 という通説的理解は、「当世中国事情」 の紹介としては要領を得ていても皮相的な見方だと思う。
  より大事なことは、中国経済社会の発展、進歩が国民の意識を大きく変えつつあるということだ。その意識の変化に 「共産党独裁体制」 が随いていけていないことが問題なのだ、というのが筆者の考えである。そういう変化の一端を素描してみよう。

  ○ 経済成長がもたらした所得水準の向上により、全部ではないにせよ膨大な数の国民の暮らしが豊かになり、進学率が示すように知的、文化的水準も大幅に向上した。メディアの中でも新聞、雑誌、インターネット等は商業化が進み、流す情報も飛躍的に増加、多様化した (前述した 「昔は報道されなかったことが報道されるようになった」 のも変化である)。国際情勢についても共産党に都合の悪い情報は伏せられるが、統制にかからない範囲では多様、豊富な情報が流れている。国民が知っていることは飛躍的に増えた、少なくとも日本人が想像するより遙かにたくさん。
  ○ 改革開放が始まった 1978 年以降に生まれた中国人が 12.5 億人の4割を占めるようになった ( 2004 年調査)。 私とほぼ同年代の 1960 年生まれ、いま 45 歳前後の中国人は小学校から高校にかけて文革や四人組事件を経験した。また、貧しかった頃の中国をはっきりと覚えている。成人する頃に始まった改革開放後は眩しいばかりに豊かな先進国事情を知った。社会に出て分別もついてきた 1989 年に天安門事件を経験して、一筋縄ではいかない 「中国の現実」 を改めて思い知る。
  他方、わずか 20 年後の 1980 年に生まれた中国人は、沿海都市部の中流層を例に取れば、物心ついた頃には既に家にカラーテレビがあった。中学に上がる頃には 「社会主義市場経済」 が始まり、国が外資ブームに沸いた。そして成人した 2000 年以降のいまは世界中が認める 「中国台頭」 の時代を生きている。
  1980 年組は 1960 年組が未だにどこかで引きずっている 「後れた中国」 という劣等感が希薄で自信がある (その分、まだまだお寒い中国の現実に疎いが)。この世代差は大きいと感じる。
  ○ 変化の 「原因」 なのか 「結果」 なのか、よく分からないが、はっきりしていることは、共産党や政府が昔ほど国民を抑圧しなくなり、国民も昔ほど党や政府を恐れなくなったことだ。昨今、開発で土地や住まいを追われる農民や都市住民の窮状や怒りに報道の焦点が当たるが、少なくとも沿海部では、裏で農民・住民側の 「ゴネ得」 現象も生まれている。補償金に不満があれば 「上級政府に直訴(「上訪」という)に行く」 と脅す。それを聞いて地方政府の役人がオタオタする。一昔前の中国では考えられなかった光景である (私の年代の日本人にとっては中高生の頃の高度成長期に何度も見た”de-javu”であるが) 。

  要するに、一昔前の韓国、台湾や東南アジアがそうだったように、経済成長は中国社会を大きく変えつつあり、「体制変化」 は国民意識という階層で既に始まっているのである。その変化にいまの 「共産党独裁体制」 はどう応じようとしているのか、変化に随いていけるのか、これが中国の将来に関する最大の「?」であるが、続きは稿を改めて考えてみたい。                        (平成18年7月27日記)




 

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