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ブログ 津上俊哉
小泉総理さようなら

おかげさまで、弊ブログのアクセス数が10万を超えました。皆様の日頃のご愛読に改めて御礼申し上げます。 今回は少しフライングですが、小泉総理に対する私のアンビバレントな心情を書きます。


                      小泉総理さようなら

  小泉総理が今月末に退任する。毀誉褒貶を受けるのは政治指導者の常とはいえ、小泉総理の場合、殊のほか褒貶のコントラストが著しかった。とくに、中国や韓国との関係については、靖国神社参拝のせいで、総理への評価が割れるという以上に、国論まで真っ二つに割れてしまった。
  私のような 「中国屋」 は、小泉総理のためにかなりの影響を被った。 しかし、そのせいで小泉総理のことを恨んでいるかというと、どこか 「愛憎半ば」 なのである。この人は、中国人があれほど不快がり、怒る靖国神社参拝を毎年繰り返す一方で、いつも 「私は日中友好論者だ」 と述べていた。こう言ったら中国人から怒られそうだが、「その言葉はあながち嘘ではない」 と、いつも感じていた。

  小泉総理は2002年4月 「ボアオ・アジア・フォーラム」 (中国海南島) におけるスピーチの中で、中国の経済発展は 「脅威」 ではなく、日本にとっても 「好機」 であると述べた。日本で「中国経済脅威論」 が全盛だったあの頃、そう発言するには勇気が要ったはずだが、それ故に強いインパクトも持っていた。それは当時の中国が聞きたくてやまない一言でもあり、果たして朱鎔基首相はこのときのボアオ会談で、ずいぶん感激したようだった。
  この頃までは、小泉総理も中国との関係改善に必死だった。手だてを尽くして訪中し、櫨溝橋の抗日戦争記念館を訪れたりもした(それで相手の江沢民前主席に「靖国神社にはもう二度と行かないはずだ」との誤解を与え、後にますます事態を悪化させる元になった)。参拝の時期も8月15日を避けて13日にする、正月に行く、秋の大祭を選ぶなど幾度も変えた(それで参拝支持派からも批判された)。国会ではA級戦犯についての認識を問われ、「戦争犯罪人だ」との認識を示した。サンフランシスコ講和条約を受諾した日本の代表者として模範的な解答だが、「・・理屈の上ではそうだが・・」 と言い淀みがちなところを逡巡なく言い切った (それで 「そう考えるなら、何故靖国に参拝するのか」 と、支持派、反対派の双方から顰蹙を買った)。でも、何とか中国と折り合える方法を探そうと努力していた。

  「靖国問題さえ棚上げにしてくれたら、オレは本当に日中友好論者だという実を示してみせる。」 勝手な憶測だが、小泉総理はそんな風に考えていたのではないか、そして詮ない仮定だが、中国が棚上げに同意したら本当にそう行動したのではないか。もちろん、総理をその気にさせる恰好の「テーマ」があったらの話だが。
  そう思わせるような、良く言えば一途、悪く言えば狂信的なところが、小泉総理にはあった。外交では北朝鮮訪問が、内政では郵政改革が典型例だ。自分で 「こうだ」 と信ずると、「必ずそうなる」 と信じて、事に当たれる。一か八かの賭け、常人なら内心の不安で自分が潰されてしまうが、小泉総理はその種の不安に対する感受性が特異的に鈍いのか、とにかくこの点において非凡だった。そして、そう信じて前に突き進むと、或る者は気圧され、或る者は気迫に感動して、無理だったはずの途が開けてしまうこともあるのが世の中だ・・・そうやって総理のカリスマが生まれた。

  しかし、中国は最後まで靖国問題で折り合おうとしなかった。この問題を知る人間にとっては最初から分かり切った結果であった。毛沢東はいざ知らず、それなりの「民主化」 が進んだ当今中国の指導者に、国内でそんなことを断行できるほどの権力基盤やカリスマはないのである。 第一、そんな危ないディールをして、代わりに日本からどれほどの見返りが得られると言うのか・・・。小泉総理も途中からは折り合う希望を失った、「何時行っても批判される、同じことだ」 と言って。
  小泉外交最大の失敗は、近隣諸国にとって靖国や歴史の問題が持つ重さを完全に読み誤ったことだ。 また、永く政権中枢を占めた旧経世会のプリンスにとっては 「中国、韓国と同時に悪くなったら、政権維持がしんどくなるくらいの重荷を背負う」 ことは常識だったろう。 所属する森派が永く陽の当たらない非主流だったせいで、そういう帝王学を身につける機会がなかったのか・・・そうとも言えない、森喜朗元総理は非主流派閥の領袖でも、そこは十分承知しているように見えた。だとすれば、「群れない一匹狼」 キャラクターのせいで、他人の話に耳を傾ける機会を自ら遠ざけてきた結果なのか・・・。 一度誰か小泉総理に訊いてもらいたい、「退陣後にもう一度2001年総裁選の前にタイムスリップすることができたら、日本遺族会への靖国参拝の公約をもう一度しますか・・・」 と。 (当然、総理は即座に 「しますね」 と答えるだろうが)。

  後継総理と目される安倍現官房長官は小泉政権の継承者として登場するが、小泉総理とは対照的な人柄だ。よく、「共産政権とのディールで業績を残せるのは、実はタカ派だ」と言われる。正しいかも知れないが、では、「タカ派なら業績を遺せるか?」と言うと、逆は真ならずだ。タカ派らしいハードなネゴをいくらやってもいいが、業績を遺すには、最後の一瞬に相手を信じ、その結末を信じなければならない。安部氏は中国との関係で、そういうことをしないだろう。
  小泉総理の対中外交は最後まで総理の非凡さを発揮する機会に恵まれないまま、惨憺たる結末に終わったが、それでも 「愛憎半ば」 を感じるのは、「読み誤り」 さえしていなければ、この人はやれたかもしれないという未練を感ずるからだ。    平成18年9月12日記




 

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