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ブログ 津上俊哉
「大恐慌」 以来の経済・金融危機 (その4)

長々と書いてきた本稿の最終回です。以上がすべて 「納涼向けの怪談」 に終われば本当に気が楽ですが、どうやらそうはいかない形勢だと危惧します。


                       「大恐慌」 以来の経済・金融危機 (その4)
                         「終末」 博士の不吉な予言


  もう一つ、経済面以外で米国財政危機がもたらすと予想される深刻な問題は、米国の国力低下による世界公共財の供給減少である。仮に金融機関救済のために公的債務が激増し米国が財政危機に陥りかける、国際社会としても緊急に対策を講じなければならないという場面が本当に来たら、何が起こるか。
  当然のことながら、国際社会側は 「財政危機なのだから、米国は 『不足をファイナンスしてくれ』 ばかり言ってないで、支出を切りつめる努力を見せろ」 と言うことになる。そういう痛みを伴わない救済貸付をすれば、人類史上最大のモラルハザードが起きてしまう。しかし、国際社会が財政支出の切り詰めを求めたとき、米国が 「それでは国民生活を守るために、国際公共財サービスを優先的に削減する」 と言ってくる可能性は大いにあるだろう。

  米国が供給している世界公共財として最大のものは安全保障だ。改めて子細に論ずる気にもならないが、今世紀に入って以来、この 「世界のおまわりさん」 はやることなすこと最低であった。しかし、それでは 「こんなおまわり、もう要らない」 ということになるかと言えば、ならない。地政学的な危機を惹起する恐れが高まるからだ。
  長々と 「連載」 した本稿で最後に論じたい問題は、以上のような文脈で世界の外交・安全保障に大変化がやってきたとき、日本は、世界は、どのように対応するのか?という問題だ。いくら金融・財政危機対策で多国間の公平な合意作りを目指しても、金融以外の領域でこんな 「大穴」 が空いていたら意味がない。

  たとえば米国が日本に 「在日米軍を撤退させたい」 と言ってきたらどうするか? 実際には、軍事費は米国にとって手を付けにくい 「聖域」 の一つだ。それに、日本はPKOのような国際貢献に十分参加できないことを口実にあれこれと 「恩を着せられて」 いるが、日本に駐留することによって米国が得ている国家的利益は大きい (撤退後の極東に生じ得る事態を想定して対比すれば直ぐ分かることだ)。米国が 「国民福祉を削るくらいなら、在日米軍を大幅に削りたい、撤収したい」 と言ってきても、そこには 「脅し・かまし」 の要素があるだろうと思う。
  しかし、問題はそう言われたときの日本側の反応だ。筆者は親中ではあるが反米主義者ではないと断った上で苦言を言うと、日本では役人にせよ政治家にせよ日米関係について 「どっちの税金で給料もらってるの?」 と皮肉りたくなるような人がけっこういる (しかもメインストリームに)。こういう人は 「在日米軍を撤退させる」 などと言われたら 「腰を抜かす」 であろう。
  日本側カウンターパートが 「それだけはご勘弁」 と口走れば、米国側は 「困ると言うのなら、駐留経費を肩代わりしてほしい(“Omoiyari-yosan” なんてケチな話ではなく)」 、さらには 「実はイラク・アフガン戦費でも頭を痛めている。こちらについても 『応分』 の追加負担をお願いしたい」 と言うのではないか。そこで 「ついては、向こう4年間で20兆円ほどの負担をお願いする」 と言われたらどうするか(注)。無体、法外な話であるが、米国の命運や国民生活がかかっているから、日本に少しでも呑む気配があればガムシャラに押してくるだろう。少なくとも私が米国側ならそうする。
注:4年間で20兆円というのは日本の防衛関係予算と概ね同額、つまり防衛費が倍増するイメージである。「法外」 な想定かもしれないが、スティグリッツ教授が言うように、米国に合計3兆ドルのイラク戦費負担 (傷病費、退役軍人手当等を含む) がのしかかっているところに、金融機関の公的救済のため更に1兆ドル以上の負担となれば、奉加帳を回す大口相手国からは、少なくともこれくらい出してもらわないと意味のある数字にならないのである。

  そこで 「いくら何でも無茶苦茶だ」 と口で言っても、「そんな大金を払うくらいなら日本はこうする」 というカウンター策が示せなければ押しまくられるだけだろう。そして、いまの日本のエスタブリッシュメントのメンタリティを思い起こすに、そうなる可能性は低くない。
  ここまで書くと 「この筆者は反米というより神経症では?」 と疑われてしまうかもしれない。しかし、前号で論じた 「こう来る、こう打つ」 式のシミュレーションは、あらゆる事態を想定して行うものだ。私はつねづね中国 (人) はこういう頭の体操を欠かさないところが偉いと感じている。以上は対照的にあまりに脳天気な日本の現状に警鐘を鳴らすために、やや極端な数字を取り上げたのであり、実際に上述のような展開にはならないことを切に願う。むしろ多国間で議論されうる、より現実的な安全保障関連の課題は 「米国の負担軽減のために、日本はイラクやアフガニスタンで平和維持や民生向上のためにもっと大きな役割を担え」 といったことだと思う。

  上述の想定事例ほどあからさまな形でないにしても、今回の危機を契機に、世界がさらに米国ヘゲモニーのフェードアウト、多極化に向かう可能性は大きい。ルービニ教授も “The Decline of the American Empire” というコラムの中で 「米国のヘゲモニーは一朝一夕になくなる訳ではないが、トレンドは明らかだ・・・世界に安全保障、自由貿易といった公共財を提供してきたヘゲモニック・パワーが衰退した後に、もっと多極化した世界が国際協力の下で地球的課題に取り組む安定的な世界が到来するのか、それとも安定したヘゲモニック・パワーの欠如が紛争に彩られた不安定な世界をもたらすのかは遺された難題であるが (注: 「恒久的悲観論者」 の称号を持つ教授がどちらだと考えているかは明らかだ)、米帝国の衰退が始まったことは確かだ」 と述べている。

  筆者としても、このような変化は 「一朝一夕」 に起こらないように願いたいが、昨今のグルジア紛争を巡る欧米とロシアの確執によって、早くもその期待が裏切られるかもしれないと感じている。NATO勢はいまやグルジアの一部を奪還すると言わんばかりのロシアの態度に憤慨しているが、ロシアにはロシアの言い分がある。この問題が深刻なのは、ロシア側にソ連崩壊以来誇りを踏みにじられてきた 「怨念」 があるからだ。NATOやEUを東欧に拡大する欧米の動きは、ロシアから見れば 「国辱もの」 と映っていたはずだ。ロシアが西側の支援で餬口を凌いでいたエリツィン時代ならともかく、国力が回復しプーチンという英雄がエリツィンとは違う素顔を見せ始めて以降も、欧米 (とくに天然ガスという経済の命脈をロシアに握られているドイツのような国) がその動きを止めなかったのは不思議だ。プーチンにしてみれば 「欧米には 『他人の庭先を侵すな』 と、過去何度も警告してきたはずだ」 といったところだろう。こういう 「怨念」 は冷静な計算、打算を押しのけて 「思い」 を遂げかねないところが怖い。
  プーチン総理やメドベージェフ大統領の 「WTO加盟が流れても、NATO関係が断絶してもロシアは困らない」 式の発言を聞いて、ロシアはハラを据えて挙に臨んだのだと感じた。世界が経済危機の縁に立ち団結が求められる時期にこういう紛争が起きることは悪い予兆だが、恐らくロシアは 「臥薪嘗胆」 の如く、こういう時節到来を待っていたのだ。遠からずグルジアは 「失地回復」 の第一歩に過ぎないことが明らかになるだろう。

  中国はいまのところ、今回のロシアの 「冒険主義」 に距離を置いている。去る8月28日にタジキスタンで開かれた上海協力機構首脳会議でも、一方でロシアの顔を立てながら、他方で一方的なグルジア非難や南オセチアの独立承認には抵抗してバランスを取ったと評されている。
  中国にも対外強硬派はいるから、「欧米の経済的困難、国力低下の兆しを見て、機敏、果断に行動を起こしたロシアに啓発されて」 、「中国もこれに倣うべきだ」 などと言い出す連中がいるだろう。
  しかし、救いは中国経済がロシアより遙かに (今回の金融危機を含め) グローバルな相互依存関係に組み込まれていることだ。また、ロシアは冷戦後の20年間に怨念を抱いているが、この時期に飛躍した中国はこの怨念を共有する立場にない。飛躍したとはいえ中国が超大国として君臨するにはまだまだ年月が必要であり、その間平和的な国際環境と世界経済の繁栄が続くことを必要としている。ロシアとNATO勢の対立が深刻化すれば、世界が危機に陥るのを阻止するためにもバランサーの立場に身を置き、米国との協調路線も維持するだろう。
  しかし、それで安心してばかりもいられない。米国の国力が衰え、東アジアの安全保障に十分関われなくなるとすれば、一部にせよ誰かが役割を肩代わりしなければならなくなる。日本の保守派は米国が北朝鮮のテロ支援国家認定の解除に動き出したことを 「米国の裏切り」 だと憤っているが、米国がイラク戦争に加えて真性経済危機というダブルパンチに見舞われれば、米国が極東からフェードアウトする動きは加速する。そこで米国がますます頼りにせざるを得なくなる相手は 「6ヶ国協議」 を仕切ってきた中国を措いて他にない。「中国は米国と 『価値観を共有』 する相手ではないはずだ」 といくら異議を申し立てても、極東安全保障は既に数年前から6ヶ国協議の枠組みの下、米・中主導の方向に動き出していることは否定しようのない事実だからだ。
  国力旺盛な米国ならライバルのそんな台頭を許さないだろうが、いまや中国に対しても財政危機対応のため 「応分の負担」 をお願いせざるを得ない立場に向かっているのだから何をか況や。ネオコンのファンファーレを聞かされたのは何年前のことだったか・・・やはり 「驕れる者は久しからず」 であった。
  よって、中国にしてみれば米国とも協調関係を保っていけば、熟柿が落ちるように地域での影響力が増していくのだから、いま焦って冒険をやる必要はないのである。しかし、それが日本にとってどういう意味を持つかは別問題である。

  以上長々と述べてきたが、サブプライム問題に端を発した自己資本毀損のせいで米(欧)金融セクターが危機に陥り、大規模な公的資金を投入しないと世界が真性恐慌に陥る危険が現実のものになりつつある。そして、米国単独ではこの財政負担にとうてい耐えられないから、世界が緊急協調対策を採って、この世界的危機を打開する必要がある (日本も中国も、この負担から逃れることはできない)。
  そこで前号までは 「ババを引かされるような不公平な負担を強いられないよう準備せよ」 と言ったのだが、よくよく考えてみると、米国の財政危機は国際公共財の供給、つまり世界 (とくに極東) の安全保障にも深遠なる影響を及ぼす。ことが国の生存に関わる問題であるがゆえに、「ぼったくられないように逃げ回る算段をする」 だけでは解決にならないということだ。
  法外な負担は拒絶する一方で、縮小せざるを得ない米国の国際公共財供給の国際的肩代わり (イラクやアフガン、そしてODA等) も協議・分担していかざるを得なくなる。そして日本自身の安全保障・・・「日米安保基軸」 もよいが、オプションがそれしかないのでは安全保障政策の名に値しない。米国が回してくる請求書を全部呑む、あるいは米国がフェードアウトする穴を 「自主防衛強化」 で埋めるというオプションは1000兆円になんなんとする債務を負う日本財政の手に余る。安全保障政策も再定義、リバランスを迫られる日が遠くないと思われる。
  うかうかしているうちに、黒雲が張り出して空はにわかに暗くなり始めた。経済にせよ安全保障にせよ、従前のパラダイムが無効になりかねない不安定さが世界を覆い始めている。
  こういう時期には外界に眼をこらし耳を澄まし、各国との意見・情報交換を倍旧でやり、「こう来る、こう打つ」 のシミュレーションを最大限行うべきだと思う。しかし、いま国内に眼を向けると、臨時国会はのっけから解散含み、テーブル上のイシューは古文書館から引っ張り出したかと錯覚するような 「緊急経済対策」 という。要するに、そんな問題はハナから念頭にないということらしいが、差し迫る課題を後回しにすれば、ツケは必ず国と国民の将来に降りかかるだろう。
平成20年8月31日 記




 

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