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ブログ 津上俊哉
再浮上した 「重複建設」 問題 (その2)

過剰投資問題の2回目です。あと、もう1回やります。なお今回は蛇足ですが、大店法とか航空機とか石油とか、通産省時代に 「産業政策」 が上手くいかなかった業種ばかり担当した筆者の私的な思いを 「追記」 で足しました。


再浮上した 「重複建設」 問題 (その2)
投資抑制の政府介入が過剰投資を招く悪循環



  前回は9月30日付けで公表された6大業種における過剰投資抑制措置を取り上げて、実はこれら業種における 「市場の失敗」 を惹き起こした元凶は政府の政策だったことを述べた。今回はこの問題に関する筆者の感想を述べたい。

  「重複建設」 (過剰投資) は懐かしい言葉だ。中国経済が抱える有名な 「持病」 であり、過去景気が悪化するたびに表面化した 「老問題」 だったが、ここ数年年10%を超える超高度成長が続いたせいで話題にならなくなっていたからだ。しかし、喩えて言えば 「岩礁」 (問題) はしっかり残っており、潮が引いた(成長曲線が下方屈曲した)途端、昔と変わらぬ姿を海面上に現した感じだ。
  「市場の失敗」 を繰り返し、その都度、投資抑制という政府介入を余儀なくされるのは何故か ・・・ 答は簡単。処方箋が間違っている、というよりこの処方箋 (政府介入) こそが市場が失敗を繰り返す原因になっているからだ。

  中国の 「官」 はカネ (財政+銀行融資) も許認可も土地も握る強力な組織だ。日本のテクノポリスのように 「お絵描き」 するだけで止まらず、現実の投資まで実行してしまうという点で、中国地方政府は企業の如き存在だ。中国で最も活発な 「企業」 間競争を展開しているのは地方政府だと言っても過言ではない (中国の 「地域間競争」 に対する以上のような見方には、中国と付き合った経験のあるビジネスマンの多くが同感してくださるのではないか)。
  行われているのが市場競争であるがゆえに、上級政府→下級政府の指導によって予定調和的な産業構造が実現する ・・・ などということは全然なく、逆に 「中央が投資抑制に踏み切りそうだ」 という噂が流れた途端、地方では 「規制発効前に投資してしまえ」 という 「駆け込み競争」 が起きて状況は更に悪化してしまう。

悪循環のメカニズム ? 過去の日本にも類例あり

  それは中国特有の現象ではない。日本でも 「過当競争」 が問題化して所管省庁が投資抑制のために介入した事例はいろいろあった。例えば、大店法 (中小小売店を護るために大型スーパーの出店を規制した法律)、ガソリンスタンド、最近ではタクシー業界などもその例だ。而してその結果は? と言うと、政策の狙いとは逆に 「過当競争が慢性化」 するのが常なのだ。
  前述したように政府が投資抑制に踏み出しそうになると逆に駆け込み競争が激化する。投資抑制を求める声はいや増し、結果として抑制措置が講じられ、駆け込んだ企業のヨミの正しさを裏付ける結果となる (筆者が役人時代直接体験した例では、大店法で顕著だった)。
  しかし投資抑制といっても、直近に行われた設備投資を物理的に廃棄させるところまで徹底することはできない (中国式に言うと事業所の 「淘汰」 (閉鎖) は行われるが、ほとぼりが冷めた頃に復活するのが常だ)。すなわち、規制前に駆け込んでしまえば能力の温存が可能、しかも後発の参入は政府が規制してくれるから保護業種の恩恵に与れる。
  該当業種で 「困ったときの政府介入頼み」 がクセになるのも日中共通だ (喩えて言うと 「子供に抱き癖がつく」 ようなもの)。「過当競争」 という業界の主張とはうらはらに、度重なる競争制限措置によって競争力のない限界企業が温存され易い。その様を見る業界の外では 「ウチはもっと上手く経営できる」 と思う企業が次なる新規参入の機会を窺う。結果として政府介入による投資抑制が止まないかぎり、過剰投資も止まない悪循環が起きる。
  3年前に本サイトで北京大学の周其仁教授の 「ミクロ介入は願い下げ」 という論考を紹介したことがあった。この論考は中国の土地市場と過剰投資という二つの問題を扱っているのだが、後段で周教授が述べていることも政府介入こそが投資過剰を生む元凶という基本認識では一致していると思う。
  政府も業界も相変わらぬイタチごっこをやっている。これでは当面の投資が抑制されたとしても、次回の過剰投資問題発生は約束されたに等しいだろう。
(以下次号に続く)
平成21年10月 8日 記

 追記

  筆者は通産省での役人時代に大店法、航空機、石油など日本で上手くいかなかった業種ばかり担当した。そこで得た教訓は 「企業が役所の思惑どおりに動くことはない」 ということであり、「産業政策」 には否定的な考え方を持っている。中国はその 「産業政策」 とよく似た政策をやっており、その結果もまた日本 (の失敗) とよく似たことになっている。
  改革開放の初期、日本 (通産省関係者) は中国政府の求めに応じて日本の産業政策をブリーフしたことがあり、中国側に強い感銘を与えたらしい。しかし、それは産業政策の 「光」 の側面ばかり語られ 「陰」 の側面が語られなかったからではないか、それが中国政府を誤導したのではないか・・・いっとき筆者はそう気に病んだことがある。
  しかし、最近は少し考えを変えた。中国が日本の産業政策に 「感化」 されたのだとしても、それは日本のブリーフ内容が美しすぎたからというより、中国 (政府) が聞きたかった話を日本がしたからに過ぎないのではないか。つまり、社会主義公有制から訣別していく決断をしても、それで (産業毎のタテ割に役所が存在するといった仕組みの) 政府や共産党が無用の存在になる訳ではないという証、組織の新しいレーゾン・デートルを求めていた中国側のニーズに、日本の産業政策ブリーフがフィットしたのではないかということだ。
  考えは更に広がる。日本の産業政策が (改革開放に舵を切った) 中国共産党の嗜好に合ったのは、あながち偶然ではない。野口悠紀雄教授の 「1940年体制」 論の受け売りになるが、戦後日本の産業政策はたしかに 「国家総動員体制」 に象徴される戦前の経済政策と連続性 (とくに人的連続性) を持つ面があった。その意味で両者は淵源を共通にしている。20世紀前半の世界を風靡した 「資本主義はもうダメだ」 という思潮を。そこから共産主義と (日・独の) 国家社会主義という双子が育った。
  (「資本主義はもうダメだ」 という思潮を共通の淵源として共産主義と国家社会主義という双子が育った、という言い方が極めて荒っぽいことは百も承知で言っている。思想としての共産主義は19世紀生まれだとか、言い出したらきりがない。しかし、実践としての 「社会主義」 は両者とも20世紀前半に行われた訳だし、そこに時代背景として 「資本主義の行き詰まり」 があったことは否定できないのではないか)。
  だから、喩えて言えば日本の産業政策は、ソ連型社会主義経済政策を捨てて外界に目を向けた中国共産党にとって、訪ねてみたい 「親戚」 のように映る存在だったのではないか(日中戦争を挟んで永く音信が途絶えていた親戚?)。日本の産業政策が中国共産党の嗜好に合った背景にはそんな事情もあったのではないか。
  いずれにしても、そんなことを考えるうちに 「日本が中国を誤導したのではないか」 という 「自責の念」 は薄れた。よしんば以上の解釈が成り立たないとしても、日本の 「製造物責任」 は既に時効にかかっていると考えて良いのではないか。何故って、斯くも何遍も失敗してまた同じことを繰り返すのは、そうしないとレーゾン・デートルがなくなる中国政府 (省庁) のお家の事情だと思うからだ(笑)。




 

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