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ブログ 津上俊哉
日本に捨てられた台湾人

既に2ヶ月も前のテレビ番組の話で恐縮ですが・・・


日本に捨てられた台湾人
物議をかもしたNHK特番を視て思ったこと



  最近は出張が多くて日本のテレビ番組をその日に見られないので、ビデオに溜め撮りしては後で視ている。ずいぶん旧くなるが、そうして視たものの中に4月5日NHKが放映したNHKスペシャル 「シリーズ・JAPANデビュー」 第一回 「アジアの“一等国”」 があった。

  明治日本が世界列強から 「後進地域を統治できる一等国」 だと認めてもらうために営々と努力したこと、台湾統治の初期 (初代後藤新平総督の頃) には (台湾人と日本人の) 「分離」 を旨とした統治政策だったのが途中から 「同化」 政策に変化したこと、その同化の実質は如何なるものだったか、など新しい発見もいろいろあって個人的には参考になったのだが、視ている先から 「これは騒ぎになる」 と直感した。番組に登場する年配の台湾人がする日本統治時代の昔語りが日本に対して非常に厳しいトーンばかりだったのだ。
  年配の本省台湾人と少しでも付き合えば、彼らの対日感情が愛憎入り交じる複雑なものであることが直ぐに分かる。この番組はその 「憎」 というか 「怨み」 に焦点を当て、「愛着」 をほとんど取り上げなかった。「これは右派が黙っていなかっただろうな」 と思ってググッてみたら案の定、放映直後から 「NHK偏向番組糾弾」 運動が盛り上がったようだ。数年前に問題になった戦争慰安婦に関する模擬法廷番組問題の延長戦みたいな様相を呈している。

  たしかに、放映内容が画面に登場した老人達の心情を十分受け止めたか疑わしい点があった。公園でくつろぐ老人達が教育勅語や旧い日本語の歌を暗唱できるのを自慢する一方で日本への恨み、不満を口々に語るが、番組は二つの心理を繋ぐ 「あや」 を十分捉えようとしなかったという印象を筆者も持った。
  旧制台北一中で日本人と机を並べて教育を受けた87歳の老医師が語る 「日本批判」 も大きく取り上げられた。学校で受けた差別、日本人に嫁いだ従兄の姉が日本戸籍に入れてもらえなかったことなどなど。でも、その想いは全て日本語で語られる。「・・・喋るのも日本語、台湾語でこう言う演説はできない。頭のコンピューターはすでに日本化されてしまってるから。あの二十数年間の教育は実に恐ろしい、頭が全部 “brain wash” されているからね・・・だから日本式に物を考えたり、日本式に日本語を喋ったりする・・・」
  番組を批判する人の中には台湾に深い関わりを持つ人もいて、取材を受けた老医師に電話して事情を聞き、その内容をブログに公開している(「台湾は日本の生命線!」)。老医師は 「インタビューでは日本を評価する話もたくさんしたのに、日本に対するネガティブな印象のところだけ取り上げられて心外だ」 と訴えており、筆者もやはりそうだったかと思った。取材対象者から抗議を受けている以上、NHKは編集方針から外れる証言を選択的にカットしたと言われても仕方ない。右派はそこを憤っている訳だ。

  しかし一方で、NHKの 「偏向」 を批判する右派から 「台湾人の日本感情は決して 『親日』 だけでない、『憎』 や 『怨』 の気持ちもあるのだ」 といった話を聞いたことがあったっけ?とも思った。総じてみれば右派は右派で、台湾の親日・日本統治賞賛の部分にばかりスポットを当ててきた。李登輝総統登場以来、日本は 「意外に親日的な台湾」 を再発見した。そこまでは良かったが、その後は中国や韓国の反日に対抗するための反証材料、シンボルとして 「親日台湾」 を利用してきた。どっちもどっちという気がする。当の台湾人たちは両方の様を見て溜め息をついているのではないか。

  老医師の言葉を引用した上掲ブログはNHKへの抗議だけでなく 「日本への怨み」 の言葉も引いている (NHKより “fair” だ)。筆者の心にいちばん突き刺さったのは次のくだりだ。
・・・敗戦で日本は台湾を投げ出した。切り離した。しかし償いがなかった。物質的な償いではなく、精神的な償いが、だ。マッカーサーの命令により、やむをえなかったことは台湾人はわかっている。しかし 「捨ててすまなかった」 とちゃんと言ってくれれば、台湾人は慰められたのだ。(自分の日本批判は) 「日本に捨てられた台湾人の怨み言」 であると解釈してほしい。黙って国民政府 (蒋介石政府) に引き渡したときの怨みだ・・・

  大日本帝国が兵隊にとった台湾人 (そして朝鮮人も) は内地召集兵同様、多くの人が戦死したが遺族には恩給はもとより何も出なかった。反日意識の強かった朝鮮半島では 「帝国日本に協力した人間」 は戦後生きる場を見つけるのも困難だったはずだが、日本は敗戦に当たって彼らに 「国籍選択」 の機会を与えなかった、強制的に帝国臣民にしたのに、親が子を置き去りにするが如く、文字どおり捨てた。
  そして帝国領でも委任統治領でもないのに戦場になった多くの国がある。一部の国には戦後賠償を行ったが、それは “occupied Japan” に代わってGHQ (米国) が乗り出して、相手国を値切ってくれた結果、しかも役務賠償 (被賠償国が原料を供給、日本企業が政府から手間賃をもらって加工して返すもの、企業にとっては 「特需」) が中心だった (注)。

  これら全ては敗戦で海外領土ばかりか主権まで喪失して食うや食わずの貧窮に陥り、あるいはGHQから赤化防止の防波堤と位置づけられてしまった日本にとって、他にどうしようもなかったのかもしれない。しかし、それなら日本が豊かになった後も、その過去をころりと忘れたままにしたのは何故か? 敗戦処理の非情と戦後の忘却の合わせ技により、日本は戦前言っていた 「一視同仁」 が口先だけだったことを、はしなくも証明してしまった。それが台湾の老人たちだけでなく、どれほど多くのアジア人に日本への怨みを遺し、戦後日本のソフトパワーを損なったことか。
  天皇皇后両陛下はそのことを今も決してお忘れにならずに、黙々と先の戦争の犠牲者や苦しみを味わった人々へのお務めを果たしておられる。まさに 「日本の美徳」 を体現されておられると思うが、そういう日本人は数少ない。

  誰しも過去の古傷は忘れたいが、そういう負債の処理を 「マイナス」 としか見ることができないのは発想の貧困だ。過去のこういう負債をきちんと受け止めれば、その裏側で 「信義を重んずる日本と日本人」 というソフトパワー (無形の資産) が増大したのに。
  重荷を免れんとすれば他で報いを受け、進んで引き受ければ他で報われる・・・世の中は上手くできて帳尻はどのみち合ってしまう。いま振り返って考えるに、日本はどっちで行くべきだったか・・・
平成21年6月11日 記

注:食うや食わずの “occupied Japan” は自らが戦争に巻き込んでしまったアジア諸国への心遣いが欠けていた。「進歩的」 だったはずの全面講和派ですら、「外地異種族の離れ去った純粋日本に立ち戻った」 (東大総長 南原繁)、「過去における侵略的軍国主義の獲物をきれいさっぱりと放棄して、日本民族本来の在り方に立ち帰った」 (大阪商大学長 恒藤恭) と主張していた。そこには残念ながらご当地で 「日本人」 として育てた 「外地異種族」 の身になって考えるという視点が欠落していた。
  戦争賠償またしかり。雑誌 「世界」 が行った講和問題特集では120名近い知識人が紙面に登場したが、その中で賠償問題を論じた者はわずか二人、しかし皆無ではなかった。評論家荒正人は当時次のように述べている。
  講和問題の草案に賠償のことがないのは不思議といえば不思議です。アジアの諸地域で、日本軍が破壊、損傷した人命、財産、施設などの総額は膨大なものである害です。それが帳消しになっている理由はどこにあるのでしょうか。フィリッピンやビルマなどから賠償の要求がでていますが、ないものは払えません、と口にださぬまでも、それをただアメリ力の留め役(筆者注:賠償値切り役の意)にだけまかせて黙ってみていていいものでしようか。

(上記いずれのエピソードも小熊英二著「<民主>と<愛国>」(新曜社刊)477?478ページによる)




 

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