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COP15の結末に思うこと

1ヶ月のご無沙汰です。更新をさぼってしまった理由は二つ。話題のtwitterにハマってしまったこと(皆さんもダマされたつもりでトライしてください)。そして、今日のテーマをずっと追ってきたものの、考えがまとまらなかったことです。


COP15の結末に思うこと
蘇る中国の 「原理主義」



  もう3週間も経つが、COP15の話をしたい。会議開催前から、京都議定書に代わる新たな議定書の枠組を妥結できるとは誰も考えていなかったとは言え、誰もあれほど混乱した幕切れに終わるとも考えていなかったはずだ。政治的宣言さえ正式採択できず、用意された 「合意」 案の上に “take note” するという紙1枚乗っけただけで幕切れになるとは・・・。
  土壇場の善後収拾会議 (12月18日の米、中、インド、ブラジル、南アフリカ五ヶ国会議)から外された欧州の怒りと失望感はとりわけ大きい。その怒りが中国に集中して向けられていることは周知のとおりで、とくに英国のミリバンドエネルギー・気候変動相はガーディアン紙に投稿して 「(温室効果ガスGHGの) 排出量を2050年までに全世界で50%削減する、或いは先進国は80%削減するという目標は、先進国と大多数の途上国の支持があったにもかかわらず、いずれも中国の反対 (veto) で合意に至らなかった」 と名指しで中国を非難した (“The road from Copenhagen”)。
  ガーディアンのサイトにはもっと生々しく衝撃的な投稿もあった( 「中国がコペン合意を潰した、どうして知っているって? 私はその部屋にいた」)。筆者のジャーナリストは、首脳会議の席上中国が上記目標の設定にも 「ノー」 と言うのを聞いて、独メルケル首相が 「なぜ自分たち (先進国) 自身の目標にすら言及できないの!?」 と怒り、豪ラッド首相がマイクを叩き、ブラジル代表ですら 「先進国のユニラテラルな削減にまで反対するのは非論理的」 と発言したと伝えている。

  中国が絵に描いたような “heel” (悪役) を選択した理由を知りたくてネット上を捜した結果、見つけたのは以下だ。
  ・・人民大学環境学院の邹 (Zou) 驥副院長は、(排出量を2050年までに全世界で50%削減する、或いは先進国が80%削減するという) EUの2項主張は将来の排出の余地を(EUに)できるだけ確保する狙いがあると見る。「(この提案に従えば) 40年後、先進国の1人当たり排出量は2?3?、途上国は1?前後の排出しか認められなくなる..最終的な1人当たり排出量において先進国が優越的な排出枠を占めることは途上国として受け容れられない・・」(財経1月4日号)

  そうか・・世界トータルの枠を半減と決め、かつ、「先進国は80%削減」 とやると、自動的に途上国の枠も決めることになる。ミリバンド大臣の投稿では 「世界半減」 と 「先進国80%削減」 は “or” で繋いであるが、中国はこれが何時の間にか “and” に化けて途上国の排出枠が総量規制されることを警戒しているらしい・・
  筆者は 「先進国80%削減@2050」 案に 「誇大広告」、つまり本当に実現できるのか?を横に措いて問題をかなり遠い未来に先送りする匂いがすると考えていたので、中国が 「それでも不公平」 と考えているらしいと知って虚を突かれた。
  しかし、本当にそうなのだろうか。上記目標の結果、2050年時点で先進国が途上国の2?3倍の1人当たり排出枠を確保することになるのか、は十分な検証が必要だ。それは前提とする人口や成長速度、将来のエネルギー原単位の置き方によって変わってくるはずだ。
  例えば、中国の他の論説にはこう書いてあった。「いま米国の1人当たり排出量は中国の約4倍だ。仮にオバマ大統領が今回提案した米国の削減目標 (2020年に2005年対比で17%削減、これを丸めて20%削減とみる) と中国の公約した 「2020年に原単位ベースで40?45%削減」 がどちらも実現したとする、そのときも米国の1人当たり排出量は依然として中国の2倍あるのだ」 (財経12/21号)。
  これでは両者の計算が合わない。2020年、いまの米国の大甘のコミットで1人当たりの格差が2倍に縮まるのであれば、実現の見通しが十分立たない80%削減が2050年に達成されてなお2?3倍の格差があるはずはない気がする。それとも中国は、いまの原単位のまま向こう40年ずっと8%成長を続けるのに十分な排出枠を確保しないかぎり安心できない、とでも言うのだろうか。

  以上のように、中国は今後の経済成長が気候変動問題による制約を受けることを極度に警戒している (これを 「発展権」 問題と称する)。その背後には、先進国の1人当たり排出量が途上国よりも多いことを当然視するのは不当だ (「1人当たり」 主義)、昔は高成長することが許されたが (先進国)、環境制約が表面化した今後は高度成長するのは許されないなどという理屈は認められない、産業革命後200年間の累積排出量の80%は先進国が出したものだ (「歴史的責任」 主義) といった怨念にも似た感情がある。
  以上は中国だけでなく途上国共通の 「想い」 だ。我々も攻守ところを変えて 「自分が途上国だったら、COPでの議論をどう感じるか」 を虚心坦懐に考えてみるべきだとは思う。しかし、この 「想い」 を貫徹すれば原理主義になり、妥協点はおよそ見込めなくなる。筆者は最近の中国が自国の環境破壊の損失を真剣に憂慮するようになってきたこと、金融危機以降の相対的な国力強化でいっそう自信をつけたこと (劣等感、被害者意識の克服) により、従来の原理主義的な立場は弱まってきたのではないかと期待していたが甘かったようだ。
  中国の原理主義が蘇ったのは、今回のCOP15が京都議定書トラック (現締約国の権利義務) と新しい枠組を統合し、中国のような 「主要途上国」 を同一の枠組でバインドしようとしたためだ。中国はこれを交渉上の既得権の侵害、つまり (先進国と途上国の) 「共通だが区別される責任」 原則からの逸脱と受け取った。「京都議定書とバリ・ロードマップの合意を踏みにじる」 という言い方を度々用いている。
  門外漢の筆者などは呑気に 「中国は (40?45%のような) 原単位の削減義務の限りなら義務化に応じうる、後は先進国の 「80%削減@2050」 集団から大きく後れを取っている米国をどこまで歩み寄せられるかだ」 くらいに考えていた。しかし、中国は日本ではない。安易に 「足して2で割る」 式の妥協をやるつもりは毛頭なさそうだ。
  念頭にあるのはあくまで 「発展権」、中長期的な成長を阻害しないだけの排出空間を確保することであり、総量規制のニュアンスがあるかぎり(科学的知見に基づき温度上昇を2℃に抑えるとするかぎり、そうなる)、帰するところは米国だけでなく先進国全体とのゼロサム・ゲームということだ。

  ここまで書いてくると、「COPの空中分解はほとんど定まったも同然・・」 という暗澹たる気がしてくる。米国議会が中国の満足するような大幅な削減を呑むはずがない、という理由を挙げるだけで十分だ。今年のCOP16@メキシコシティで締結・批准可能な新議定書がまとまらなければ、たぶん京都議定書の第二約束期間も消える。無協定状態だ。オイオイ、ホントかよ。
  今回のCOP15では伝統的な途上国グループG77の結束にもヒビが入った(中国外交部は否定)。会議で注目と同情を集めた島嶼国の一つモルディブのナシード大統領は 「時代遅れな意識がはびこる政治集団 (=G77) を維持していくのは難しい、途上国中の大国の多く (=中国を始めとするBRICS) は合意が必要だなどと考えていない、『今までどおり』を望んでいるのだ」 と批判した由だ (FT中文サイト)。冒頭述べた首脳会議での強硬な 「ノー」 にはBRICSの盟友ブラジルでさえ 「引いて」 しまったようだ。南アフリカも法的拘束力のある合意が何一つ出来なかったCOP15を unacceptable だと非難している。
  それでも中国は原理主義的立場を堅持するだろうか。あちこち中文ウェブを覗いたばかりの感想を言えば 「2年連続で “heel” を演ずることを毫も辞さない決意だろう」 だ。
  翻って我が日本。京都議定書も含め無協定状態になりそうな展開は、日本の 「ケイダンレンな」 人たちの歓迎するところだろう。しかし、最低限知っておくべきは、中国は単純な悪役を演ずるだけではない、ということだ。中国は原理主義的な立場を堅持する一方で、今回表明した自主目標 (2020年までにエネルギー原単位を40?45%削減) を本気で達成する努力をするだろう。その二つでバランスと立場を守ることを 「二本足」 戦術と表現している。
  温家宝総理はコペンハーゲンでこう演説した。「・・中国がGHG削減目標を定めたのは国情に基づく自主行動で、中国人民と全人類に責任を負うものだ。一切条件を付けず、他国の排出目標とも絡ませない。言った以上実行する、実行する以上結果を出す。今次会議が如何なる結果に終わろうと揺るぎなく実現し、更には超過達成に努力する」 ・・ heel には heel の決心がある。

  折しも昨年は太陽の黒点活動が過去100年の最低水準に落ち込み、経験に照らせば当座の地球は温暖化よりも寒冷化を心配すべき時期だという。また、昨年の温暖化データ捏造騒ぎは温暖化効果に関する 「科学的」 知見の信頼性を大いに傷つけた。
  しかし、「だからGHGを出し続けて問題なし」 ということにはならない。黒点活動が低迷するということは、やがて活発化の時期も来るということだ。何にせよ、人類の活動で地球の与件を大きく変えるなどという大それた事をしてはいけない。うまく言えないが、「縄文人の末裔」 の直感がそう思わせる。
  COPが無協定状態に陥る惨事が起きても、遠からず世界が交渉テーブルに戻ることになる。日本もwishful な思考停止に陥っている場合ではない。家庭のゼロ・エミッション化を実現するには何をすればよいのか (カネはかかるが、市場も生まれる)、鉄鋼業を日本に残すために、トップランナー方式で中国とアライアンスを組む途はないのか(中国鉄鋼業の省エネ投資の進捗ぶり、炭素関税の免除の仕組み作り、今回まざまざと見せつけられた今後の交渉主導権の所在等々を考慮すれば、突飛すぎるアイデアではない) 等、いろんな可能性を考えなければならない。
平成22年1月10日 記




 

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