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「発・送電分離」 論に思うこと

素人ですが、最近話題の「発送電分離」論に絡めて、日本の組織改革についてかねがね感じてきたことをひとくさり。


「発・送電分離」 論に思うこと
働く 「ヒト」 の意識に立脚した改革を



  原発事故以来、日本の電力業界のこれまでのあり方が強く批判され、今後 「発・送電の分離」 を実現することが必要だという意見が強まっている。掘り下げて勉強したことがないので定見を述べる自信はないが、たしかに必要かもしれない。ただ、素人なりに考えることは、仮に発・送電分離が 「制度・組織いじり」 に終わって、そこで働く人たちの意識を変えることがなければ、改革が効果を挙げることは難しいだろう、ということだ。

  発・送電分離はなぜ必要とされるのか

  発・送電分離は、どうしても 「自然独占」 性を帯びる電力事業が独占の弊害を生まないように、可能なかぎり競争を持ち込むことが狙いだろう。そのために、自然独占性があるとは言えない発電部門では参入・競争を確保する代わり、自然独占性の因って来る所以である送配電部門 (所謂「グリッド」) では独占の弊害 (コスト高、取引相手 (発電者、需要家) の差別) を生まないように規制を行い、グリッドを天下の公器とするように努める、そういう趣旨に出た考え方であると思う。

  とくに重要なのは、グリッド側に 「身内」 の発電所と外部の独立した発電会社 (IPP (Independent Power Producer) 又はPPS (Power Producer and Supplier))を差別させない、例えば、電力会社がコストの高い 「身内」 の発電所を 「えこひいき」 しないようにする、具体的にはIPPが支払う託送料 (送電網の借り賃) にあれこれのコストを上乗せしたり、IPPにだけ高い技術的障壁を設けて差別したりさせないことが重要になる。

  日本でも10年ほど前から、諸外国に比べて大幅に高い電気料金が産業空洞化を招くといった懸念から電力自由化推進の声が挙がり、「電力小売自由化」 として、一部実行に移された。しかし、大口需要の6割が自由化されたのに、IPP (PPS) との取引に踏み切った需要家は全体の5%未満、高い地域でも10%未満に留まっているそうだ (前掲リンク参照)。

  普及が進まないのは、PPSがグリッドを持つ一般電気事業者 (電力会社) に支払う託送料が高いせいで、需要家から見ると面倒くさい購入先切り替えに踏み切るメリットが乏しいせいだとされる。「高止まりする託送料の壁を崩すには 『分離』 しかない」 という考えは以前からあった。福島原発事故以来、事故以来誰の眼にも明らかになった電力会社の閉鎖的、唯我独尊的体質への批判や、原子力に代わる代替電源確保の焦眉の急がここに加わって、「発・送電分離」 論が改めて盛り上がってきたものと思う。

  弊害の除去は言うほど簡単ではないだろう

  今後競争を促進し、代替電源、とくに新エネルギー電源の普及を進めるためには、託送料の透明化、つまり発電と送電のコストを明確に区分けし、IPPが支払う託送料に理由のないコストの上乗せや付け替えをさせないことが重要だ。

  この点で、発・送電を分離して、発電と送電部門間の電力のやりとりを別個独立の法人の間の取引として表に出せば、露骨な差別はしにくくなるだろう。グリッドを独立させれば、「身内」 であれIPPであれ、発電所から電力を購入するための価格も技術基準も 「一本化」 される。

  しかし、それでも懸念される弊害を100%根絶するには至らないのではないか。グリッドを受け持つ (元) 電力会社にしてみれば、過去同じ規格・企業文化・暗黙知に従って運営されてきた 「身内」 の発電所と比べれば、育ち・素性の異なるIPPから電気を買うことには抵抗があるだろう。そこには 「面白くない」 という人情だけでなく、技術的に根拠のあるものも含まれる。

  例えば買電に伴い、発電所とグリッドを結ぶ新たな引き込み線と前後の電圧昇降・安全設備などの諸々を投資するとする。グリッド側はIPP電源を受け容れるためには、送電系統の安全や電力品質確保のための十分な追加投資が必要だと考えるだろう。しかし、IPP側から見れば、グリッド側は 「身内」 の発電所を優遇するために、IPPに過大な追加投資を強いて差別しているのではないかという疑心暗鬼が消えないだろう。さて、投資は発電所側/グリッド側いずれの負担で行うのか、行わない側は行う側の設計・施工をコスト的に或いは効果面で承認できるのか。

  また、電源としての安定性がまだ低い風力/太陽光発電のシェアを拡大していけば需給の変動に備えたバッファ (遊び) 電源を維持するコストが重くなってくる。「これをIPP側が負担しなければ逆にIPP側がフリーライドすることになる」 という不満・不公平感は、伝統的な発電方式を用いる (元) 電力会社発電部門が一様に持つであろう。

  改革のミソは 「お家」 に囲い込まれたヒトと知識の解放にあり

  コストというものは、先験的、客観的に定まっている数値を 「発見」 するように認知するものではなく、「どこまでを、どういう種別のコストと見なすか」 といった、多分に裁量判断の伴う作業を通じてようやく固められるものであると思う。だから、会社のコストの本当の姿というのは、往々にして会社の中で直接担当する人間にしか分からないものではないかと思う。もっと言えば、大きな会社なら、財務・経理の担当者だって、事業部が上げてくる数字に潜む「操作」を全て見破ることは難しいかもしれない。そういうブラック・ボックスみたいな 「コスト」 に切り込んで、公正・公平な負担方法を判断するのは容易なことではない。

  余談になるが、金融庁や証券監督委などは、発足以降、「規制される側」 で働いてきた人間を中途採用することに努めてきたと聞くが、正しい方向だと思う。そうしても、規制される側の業界には 「半可通にすべてが見通せるものか!」 と嘯く者がいるだろうが、昔のように、規制する側の (生粋の) お役人が着任後何年か経って少し事情が分かりかけると、次の異動でまた 「素人同然」 の新任者に交代して 「コロリと騙される」 式に比べればよほどマシである。

  このように、日本にはガバナンスの 「制度」 は一応整っているが、実態上はそれによって働くはずのガバナンスがちゃんと働いていない領域というのがいろいろある。その大きな原因は、「うちの会社/役所」 的、「お家」 的な共同体意識のせいで、ヒトと専門知識の 「囲い込み」 がなかなか解けないことにあると感ずる。つまり、ガバナンスのツール (法令等の制度) があっても、切り込むべき 「対象」 の外側にいる 「素人」 はドメイン (現場) の知識をあまりにも欠くため、ツールを使いこなせない、よって 「対象」 はブラック・ボックスのまま、ということである。

  本論に戻ると、ここから帰結されることは、発・送電部門を分離・分社しても、それだけで直ちにIPPと電力身内の発電所の差別を完全になくせる訳ではなかろう、ということだ。むしろ、今後の電力改革で発・送電部門間の内部補助や差別をなくす必要があるのなら、まず電力会社の台所の内情や会社がやるコスト算定の手法 (「操作の手口」 とは言わないにしても) を熟知した電力会社の人間が会社の外に出て、今度は外部からの監視に回る方がてっとり早いのではないかとすら思う。

  もう一つの難題 「グリッド」 のガバナンス

  発・送電分離論を直ちに否定する訳ではないが、今ひとつ 「ノリノリ」 になれないのは、もう一つ理由がある。公共性が強いとして分離されるグリッドのガバナンスにも不安があることだ。

  実は中国は日本より早く既に発・送電分離を達成している国だ。六大発電会社及び群小のIPPと 「国家電網」 (State Grid) と呼ばれるグリッド会社の分離が済んでいる。しかし、国家電網は供電局と呼ばれた役所が前身であり、いまもお役所的体質が色濃く残り、最大最強の 「独立王国」 と揶揄される既得権益勢力でもある。

  今日の国家電網は、一面では強大な財力にモノを言わせて 「スマート・グリッド」 化、農村電網改造といった今日的課題に果然と取り組んでいるが、顧客サービス向上といった意識の薄さは常に批判の的であるし、肝心要の電気料金については電網自身が定めた基準が守られずに地域ごとにバラバラ、といった状況である。「分離」 するのはよいが、後のガバナンスがきちんと働かないとバラ色の未来は来ないという一例であろう。

  日本では、小選挙区改革や行政改革など、この20年来、数々の 「制度・組織いじり」 が失敗してきた。制度、組織も、ヒトが動かすものである以上、動かすヒトの心理なり動機なりに変化を働きかけることのない改革はうまく行かないという気がするのである。

  電力業界と働く 「ヒト」 にも新しいやり甲斐を与えるべき

  電力改革に戻って言えば、「発・送電分離」 後のグリッド会社とは、どのような素性の人たちが、どのようなアイデンティティを持って働く組織になるのだろう。仮に、「電力一家」 的な旧い意識を濃厚に遺し、「発・送電分離」 を外部から強いられた不当な 「仕打ち」 として記憶するような組織に化ければ、発・送電分離もまた、過去の 「制度・組織いじり」 と同じく失敗に終わるだろう (下手すれば、戦後の財閥解体のときのように、分離・分社された会社群が 「お家再興」 よろしく 「再結集」 に励むかもしれない (笑)。)

  発・送電分離をするのなら、分離後のグリッド会社に、これからの時代に相応しい新しい 「使命感」 を注入すること、分離しないにしても、発電会社 (IPPだけでなくグリッドから分離される発電所も) にもグリッド会社にも規制官庁にも、「相手の手の内を読める」 ドメイン知識を持ち、新しい電力会社のあり方にも問題意識を持つ人材を交互配置するといった人材流動化の手立てを講ずることが必要ではないか。

  超優良会社 「東電」 の名声は、福島の事故で文字どおり地に落ちた。人も羨む就職先だった会社がいまや 「夫・妻/父・母が東電で働いている」 ことが憚られるような状況だ。社員のプライドはずたずた、アパシーが充満していることだろうと思う。

  ここは国民の側も一考のしどころだ。未来の電力供給の姿がどうなれ、我々の生活は電気から離れられない。その電気を司る業界が目標を喪失し、ルサンチマンが充満するような業界になったら、ゆくゆく損をするのは国民自身だ。そろそろ 「東電たたき」 だけでなく、国民生活と経済の命脈を左右する業界とそこで働く「ヒト」に、「再生・再出発」 の意気込みを持たせる術を考えるべきである。発・送電分離論も 「制度・組織いじり」 に終わらないように、関係者が日本の電気のあるべき未来像について、ベクトルを合わせていけるように議論を進めてほしいものである。
平成23年6月27日 記





 

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