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許知遠 「日本因子」 (翻訳・転載)

参照:FT中文網「専欄」


2週間ほど前、フィナンシャル・タイムス中文ネット版に載った許知遠氏のコラムです。読んでみてください。


許知遠「日本因子」(翻訳転載)
中国知識分子の「日本」観




  許知遠という作家が中国にいる。彼とは10年ほど前、北京で一度会ったことがある。当時新興クォリティペーパーだった「経済観察報」が日・中・米三国関係の未来を語るエズラ・ヴォーゲル教授のインタビューを載せたことに興味を覚えて、「主筆」に会いに行ったのだ。

  約束場所にしたスタバに現れた「主筆」は、20歳代、長髪の若者だった。中国には、こういう柔軟な見方をする新しい「知識分子」がいるのかと、新鮮な感動を覚えた。彼はその後「経済観察報」を離れて、いまはフリーのコラムニストをしている。

  本稿(原題「日本因素))は、2週間ほど前の9月27日、FT中文網(フィナンシャル・タイムス中文ネット版)に載った彼の最新作、尖閣問題に端を発して、彼の「日本観」を吐露する印象深いコラムだ。

  植民地侵略を行った列強は日本だけではないはずなのに、なぜ、中国人は日本に対して、かくも激しく感情を露わにするのか。理由は、日本は中国と中国人にとってある意味「特別な外国」だからだ。いまやGDPでも日本を抜いた中国にとって、日本は昔に比べて、ずいぶんと普通の、ワン・ノブ・ゼムの国になったと思っていたが、今回の尖閣問題を見るに、「特別」さはなお遺っているようだ。私は、こうした見方は決して彼だけが持つ例外的なものではないと信じている。

  ぜひ日本の皆さんにも、本稿を読んでもらいたいと思って、急ぎ翻訳した。原文の香りをなるべく残すように訳したつもりだが、素人のことゆえ、自信がある訳ではない。幸い、FT中国支局からお許しをいただいたので、以下、転載する (FTのお許しをいただくについては、東京支局の中元三千代副局長にお骨折りをいただいた。ここに記して謝意を表したい。)

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許知遠:日本因子


  「何て言うか…それはすごく矛盾した気持ちだね」、彼は少し息をついて、バックミラー越しに、私が話をする値打ちのある相手か見定めているかのようだった。角刈り、白髪交じりだが、きちんと切り整えている。言葉は純正な北京訛り――自適、無頓着だ。 私は北京工人体育館東門でこのタクシーを拾った。「タクシー拾いにくいねぇ」と決まり文句を口にすると、彼は「走りにくいったらありゃしない。渋滞のうえに、燕莎の傍に日本大使館があって、道が閉鎖されているんでね」と言った。私は、ふと、日本をどう見ているか彼に尋ねた。

  「小日本を恨んでるが、ときには日本人に感謝しないとな。」「連中がいなければ、我々はずっと『オレ達はこうだ』と思うが」と言いながら右拳の親指を立て、「連中がいるからこそ、実はこうだと分かる」と言って親指を下に向けた。

  彼の家庭は中日関係の一つの縮図だ。1958年に瀋陽で生まれた。母親は子供時代を満州国で過ごしたため、日本の話になると、いつも切歯扼腕する。ところが彼の息子は「大の日本ファン」で、東京に行ってゲームの勉強がしたいと一心に願っている。祖母はそうと知って、孫をくそみそに罵倒している。孫が日本に行くことを、どうあっても受け入れられないのだという。

  彼自身はどうか? 彼の世代は歴史に翻弄され、社会に対する怨恨に満ちている。多くの人と同様、中国に対する一種の「自己嫌悪」の感覚がある。現状を変える力がなければ、現状を呪うことが気晴らしになる。もしある種の力を持っているのなら、彼のような人間が現状を呪う手助けをするのも一考だ。

  一世紀以上にわたって、中国統治者は日本に絶え間なくおちょくられているようなものだ。「天朝大国」を自認していたのに、甲午戦争で昔の「倭寇」に敗れた。やっと中華民国を建てたのに、日本によって西南の一隅(重慶)に追いやられて、たいへんな思いをした。自分は「戦勝国」だと思っていたのに(文革鎖国の)国門を開いたら、日本は遙か先を行く先進国だった。中国が台頭して日本が衰微する番が来たと思ったら、日本が自分達の日常生活に深く入り込んで、次世代の心を掴んでいること(漫画・アニメ・ゲーム)に気付いた。そして今回、中国は平和なデモ一つやれなかったのに、日本人はあの地震、津波の前でも、あんなに沈着でいられる……。

  彼の個人的感慨は、実は中国の運命の軌跡に対する鋭い指摘を含んでいるように思える――日本はこの軌跡の上でいつも特別で宿命的な役を演じてきた。ときに中国を鼓舞し、ときに中国の努力を粉砕した。もし甲午(日清)戦争がなかったら、洋務運動は新局面を拓くことができていたのだろうか? もし「盧溝橋事変」がなければ、中国の「黄金の十年」が持続して蒋介石の「先安内・後攘外」戦略が成功していたのだろうか? そして今回、石原慎太郎の挑発は中国の強硬派をさらに勢いづかせ、岐路に立つ中国を、我々が見たくない方向に押しやっていくのだろうか……様々な想いが去来する。

  歴史は矛盾に満ちている。ごく少数の極端分子が社会全体を振り回す――中日関係に何度も現れた局面だ。そしていま、両国は再びそういう局面に至った。今回の釣魚島の争いは、両国に長期的で深刻な影響を与えるだろう。東アジアの長い歴史において、中・日の二強が併存する場面はこれまでなかった。巨大な摩擦が発生する可能性がある。もし極端な勢力がこの摩擦を利用すれば、大きな災厄が訪れるだろう。本物の戦争に至る可能性は乏しいとしても、このような排外的な情緒はしばしば圧力の矛先を内部に向けて、両国社会をより偏狭な一端へと押しやっていくものだ。 (了)
(訳責:津上工作室)


(平成24年10月10日 記) 追記
訂正とお詫び:文中に「やっと中華民国を建てたのに、日本によって西南の一隅に追いやられて」のくだりがあります。当初私は追いやられた場所を「台湾」と注記しましたが、「重慶」の誤りでした。m(_ _)m




 

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