津上俊哉 現代中国研究家・コンサルタント

アジア関連

日中韓三国の歴史的和解に向けて
-アジア版「シューマン宣言」はいつ実現するのか?-
2006/10/29
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1.はじめに

  東アジアが地域統合を進めることが経済、政治・安全保障等の側面で地域の共同利益に適うことは明らかだと思います。しかし、そこで言う「地域統合」には多様な意味合いが込められています。「経済関係の緊密化」も地域統合の一つの現れですが、これは「神の見えざる手」によって、東アジアで自然に、日々の現実になってきました。他方、FTA条約の締結や通貨の統合、さらには安全保障の面での地域統合には、参加国のハッキリした政治的意思が必要です。ましてや「東アジア共同体」作りには「将来を相手国と共に歩もう」という、結婚にも似た決心が要ります。そういう「踏み込んだ」地域統合を、単にそれが「参加国の利益にかなう」という利害・打算的な理由付けだけを以て進めることには無理があり、そこでは相手国に対する国民の好感や信頼感の醸成が欠かせません。過去に不幸な歴史を抱える東アジアではなおさらです。

  その意味で、独仏両国の和解が欧州統合成功を決定づけた故事は、曾て憎み合い殺し合った国同士の和解の努力、さらには明るい未来像を共有する努力が成功した前例として非常に参考になります。独仏は共通の利益を追求するためにも、過去の暗い歴史をどのように清算するかという重い課題に取り組んだのです。東アジアが欧州統合の成功の後を追いたいのであれば、この独仏の教訓に学ぶ必要があります。その必要はとりわけ日本において大きいと思います。

  しかし、同時に、独仏和解はいまの東アジアとは大きく異なる国際環境の下で達成されたことも無視してはならないと思います。まず、独仏の和解は当時の米国の支持の下で進められたことです。当時は東西冷戦があったからです。共産圏に対抗し、西側陣営の団結と復興を進めるために、米国が独仏和解を支持することには十分な理由がありました。また、当時の独仏は直面せず、今日の東アジアが直面している新しい情況として、少なくとも二つの相違を指摘できます。

2.経済緊密化がもたらす「受益の不対称」

  第一は、いま世界中でnationalismが隆盛し、「他者」に対する反感、排除、嫌悪の気分が蔓延していることです。東アジアも例外ではありません。私は、これには、よく言われる「冷戦の終結」といった政治的要素以外に、近年急速に進んだglobalizationが各国国民の経済利益に、明暗の分かれる影響を及ぼしていることが関係していると思っています。つまり、globalizationや国際経済関係の緊密化により大きな利益を得る国民がいる一方で、大きな不利益を被る(或いはそういう不安感を抱く)国民もたくさんいる、そういう国民間の「受益の不対称」が大がかりに発生している結果、「負け組」の間に外来の「第三者」に対する心理的反感・不安が生まれていると思います。

  例えば日本の場合です。この10年間日中両国の経済関係は飛躍的に深化しました。マクロ的に見たとき、日本経済が中国台頭から得た経済利益には莫大なものがありました。しかし、中国台頭から大きな利益を手にした「勝ち組」(大企業など)が生まれる一方で、中国からの輸入製品に押される弱小メーカーや工場の中国移転で雇用を失う地方などの「負け組」も生まれ、中国との経済緊密化を巡る日本国内の利害関係には二極分化が起きました。

  中国にもglobalizationがもたらす「受益の不対称」問題があります。改革開放のおかげで無数の大金持ちが生まれる傍らで、土地や職を失う農民や失業者などの弱者も膨大は数生まれ、これが大きな社会問題になっていることはよく知られています。地域統合、経済関係の緊密化のような経済構造の急速な変化は、決して万民を均等に潤す訳ではない、仮に長期的には受益が均霑されていくとしても、短期的には各々の国内で多くの苦痛や不満を伴うと言うことです。そういう環境の下で、将来に向けた共同利益を共有することは、口で言うほど簡単ではありません。

3.「中国の台頭」がもたらす地域の不安定化

  第二、より難しいのは、東アジアはいま、「経済統合の時代」を迎えているだけでなく、中国という地域の新興powerが域内で台頭する時代をも迎えているということです(五千年の歴史を持つ国を「新興勢力」と言ったら失礼かも知れませんが・・・)。過去の世界史を紐解けば、地域に新興勢力が台頭するときは、往々にして「戦争」に至ったものです。今日、東アジアで「戦争」が起こるとは思いませんが、中国台頭により東アジアがある種の不安定期に入ったことは確かです。

  例えば日本の場合。経済関係の緊密化の一方で、政治の分野では、近年逆に反中感情が昂揚しています。大きな原因は「中国台頭」が日本人の心の上に大きな影を落とすようになったことです。今や中国のGDPは日本の半分になりました(10年前は1/5でしかなかったのです)。日本人は「早晩、経済でも中国に抜かれる」という不安に捕らわれています。いま、中国が「靖国参拝」問題を取り上げると、日本からは「内政干渉」という大きな反発が起きます。一例を取れば、小泉総理の靖国参拝を支持した国民は約半数でしたが、その支持の相当部分は「中国の内政干渉を受けて参拝を取り止めることは、独立国家として許されない」という「抵抗感覚」です。そこから見て取れるのは、中国は日本人の心理の中で、いつの間にか「日本を圧迫する隣の強大国」になっているということです。しかし、「内政干渉」というのは普通、弱小国が強大国に対して抱く不満です。そういう反発が生まれたことは、日中両国の地位の「逆転」の予感と密接な関係があると感じます。

  中国でも国際的地位の飛躍的向上によって国民心理の変化・調整が起こるはずです。 しかし、中国の場合、その変化・調整が遅すぎることが問題であると感じています。中国の「歴史問題」を考える上で、何より知っておくべきことは、世界最大の帝国であり19世紀前半には世界のGDPの1/3を生んだ中国が、その後アヘン戦争から抗日戦争までの約百年間、列強の侵略を受けて戦乱と貧困のどん底に転落したことで、中国及び中華民族がどれほど大きな心の傷(trauma)を負ったか、ということです。そのせいで、中国人は奇跡的な成長を続けて経済大国に成長した今なお、「後れてバカにされる弱小国」という自意識、被害者意識を引きずっています。

  しかし、中国の一挙手一投足が周辺国家に与える影響は日増しに大きくなっています。それは外国人の脳裏における「中国」のイメージは、中国人自身が想像するよりはるかに大きくなっているからです。その自我イメージと周囲の国が中国を見るイメージのgapが多くの問題を引きおこしています。中国にも、このgapに気付き、中国台頭を平穏、平和里に進めていくためには、周囲から嫌われ、警戒されることを慎まなければならないという考え方が生まれています(「平和発展論」)。確かに「ここまで出世したのだから『後れてバカにされる弱小国』という過去の被害者意識はそろそろ卒業してもよいのではないか」と思う人もいるでしょう。しかし、ここでも「受益の不対称」問題が関係してきます。改革開放による発展の傍らで不利益を被り、不満を抱える「負け組」の人たちに「もうtraumaを卒業しろ」と説いたところで、彼らは決して説得されないでしょう。

4.東アジアの和解のためにすべきこと

  以上のように、東アジアの歴史的和解、地域統合の前途は遼遠です。しかし、東アジアは決して地域統合の未来、目標を諦めてはならないと思います。それは東アジアの統合の成否には、今の日本、中国、東アジアを生きる現役の我々だけでなく、我々の子孫の代までの将来が係っているからです。そのために、現役の我々が眼をそらしたり、逃げたりしてはならない問題がいくつかあると思います。

  まず日本については、「中国台頭」という現実を正面から受け止めることが必要です。「人に抜かれる」のは誰でも愉快ではありませんが、苦くても不愉快でも、その現実から逃げてはいけないと思います。中国経済の高成長は、数年前日本経済がdeflationの淵から立ち直るために大いに力になってくれました。restructuringで贅肉を落とすだけでは経済は回復しない、restructuringの後に「輸出(売上)増大」という栄養をくれたのが中国の経済成長だったのです。しかし、日本経済は最近ようやく「失われた十年」の不況期から若干の恢復を見たにせよ、財政再建、地方経済振興、格差の是正など、依然として手に余る難題を抱えたままです。後代日本人を経済衰退の辛い目に遭わせないためには、そういう残された難題を解決して、日本の経済的繁栄を維持する努力が必須であり、かつ、そのためには中国を始めとする東アジアとの経済統合からもっと受益していくことが欠かせません。私は、日本が「中国人をお客様と見る」発想転換の努力をすれば、もっと大きなwin&winの利益を得られることを確信しています。よって現役日本人は後代の子孫のためにも中国台頭の現実から逃げるのではなく、そういう経済繁栄維持のための努力を最大限する責任があると思います。

5.「歴史認識」について

  次に歴史問題についてです。中国は小泉総理の5年間に教訓を得ました。日本国民から歴史問題で「内政干渉」と受け取られないように注意を払うようになっています。そうであるならば、日本は中国から「内政干渉」を受けずに、自ら歴史問題を改めて考える環境が整ってきた訳です。

  日本は戦争で亡国の一歩手前まで行きました。戦争を体験した世代は文字どおり辛酸を舐めて「戦争は二度とイヤだ」という誓いを立てました。その後の「平和立国」は戦後日本の誇るところであり、東アジアの諸国にも、もっと評価してもらいたいと思います。しかし、他方で、日本は戦争によって甚大な被害を被っただけでなく、周辺アジアに甚大な損害と苦しみをもたらしたという自覚や反省は、戦後の日本に一貫して薄いと思います。ある意味では、戦後日本の平和主義は「被害者の立場に立った平和主義」でしかなかったと言うべきかもしれません。アジア諸国向けの戦後賠償ですら、米国の力であちこち値切ってもらい、しかも現物賠償という形で、日本企業に売上の立つ方式を選択させてもらったのです。日本はそうやって、かろうじて戦争の荒廃から立ち直るきっかけを得ました。

  今後日本が、後代日本人が東アジアで生きていく上で、歴史問題について、どういう態度を取ることが子孫の代まで含めた国益に適うかは、日本国民みんなが熟考し選択すべき問題ですが、私は、過去の一時期、日本が近隣諸国に大きな苦痛と損害を与えたことを再認識し、今後は地域の平和、共同発展のために率先努力することによって、その穴埋めをする必要があると思っています。より具体的に、私の考えを4点述べます。

? 先の戦争に責任を負っているのは、刑死したA級戦犯7名だけではありません。昭和天皇はもとより、1930年代の軍部の対中侵略を大いに支持した戦前の国民にも大きな責任があります。その日本及び日本人は、結果的にはA級戦犯に「代表で」罪をかぶってもらって、難を逃れたのだと言えます。だから、罪をかぶって死んだA級戦犯に対して「気の毒をした、済まないことをした」という気持ちが生まれるのは、ある意味自然なことです。極東軍事裁判には、日本軍と同様に非戦闘員を大量殺傷した広島・長崎への原爆投下は裁かれなかった、英、蘭軍も東南アジアで日本の投降捕虜を報復のために少なからず虐殺したのに裁かれなかったなど、不条理も多かったから、なおさらです。

? しかし、日本という「国家」は、サンフランシスコ講和条約で極東軍事裁判の判決を受け入れた見返りに、独立と寛大な講和条件を手に入れる取引(政治決着)をして国際社会への復帰を果たしました。その結果、今日の繁栄がある訳です。その繁栄を手に入れた後で「当時こちらが差し出したカードは返せ」というのは、在野の言論は言えても、そういう約束をした「国家」として到底言えないことです。それで日本人の心に割り切れないものが残るのは事実ですが、それなら、半世紀以上前に戻り、もっと過酷な賠償義務を課され、占領が長引いたとしても、それで良かったのか、ということです。戦争に負けた「負債」はそう簡単に、短期間で消せるものではありません。刑死したA級戦犯の供養の仕方は、その制約の下で、別途日本の伝統習俗に従って考えるべきことだと思います。

? また、刑死したA級戦犯7名に対して「気の毒だ、済まない」と思うのは日本人として自然ですが、それならば、日本軍の行いのせいで罪もなく死傷した東アジアの膨大な無辜の民に対しても同じ哀悼の気持ちを持つのが人間の取るべき道ではないでしょうか。「極東軍事裁判を受け入れない」と言う人に対して思うのは、そう主張したいならば、真っ先に相手にすべきは裁判を主導した米国であって、未だ被害者や遺族が多数存命している東アジアの国ではないはずだということです。そのdouble standardは美しくないと思います。

? 私は以上の考えに従って、日本も歴史教育を再見直しすべきであると思います。教科書に何と書いてあるかではなく、殆どの学校が、論議の多い現代史の手前で学期が終わるように進度調整をしている実態のことです。いまや日本人の90%を占める戦後生まれが、自ら中国で戦争をし韓国を植民地化した前世代と同様の「謝罪」意識を持つべきだとは思いません。しかし、戦前の日本が何を理想、目標とし、どこで間違えて、結果、何をしてしまったか、を改めて考え学ぶことは、日本という国自身の成熟のために必要であるし、今後東アジアとの付き合いの中で生きていかないといけない後代の日本人を辛い目に遭わせないためにも、避けて通れない現役日本人の責務だと思います。それを「自虐」だと思う必要はないし、この辛い現実から目を背けたがるような「ひ弱な精神」では、これからの日本が世界の荒波を渡っていくことも難しいと思います。

 中国については、「今やこれだけ出世したのだから、そろそろ歴史に関するtraumaも卒業してほしい」と簡単に言えるものではないことは前述したとおりです。しかし、日中の和解が「中国共産党の公定・伝統的歴史観に日本が完全同意すること」によってのみ可能だとすれば、和解が実現する可能性は低いでしょう。中国では今年2月に「氷点」停刊という事件が起きました。日中戦争ではなく1900年前後に起きた義和団事件の解釈評価が争点となって起きた筆禍事件でした。この事件を「中国人民の反植民地闘争」として高く評価するのが中国共産党の公定歴史観ですが、「氷点」は、当時の義和団の過剰な排外意識、外国人敵視の態度が却って中国の被害を大きくし、国益を損ねた一面を指摘する論文を掲載して共産党イデオロギー部門の逆鱗に触れたのです。ところで、事件後の反響をみると、中国共産党の公定・伝統的歴史観に対しては、今日の中国を取り巻く新たな国際情勢などを勘案して、中国国内にもかなりの異論があることが分かります。

  筆者も、中国共産党の伝統的な歴史観は、被害者の立場を強調しすぎ、抗日戦争勝利に統治の正統性を求める共産党固有の利害に立ちすぎていると感じます。とくに日本の扱いは、国民がそういう歴史観に立った教育を受け、報道を聞けば、「日本を将来のpartnerとして考えよ」と言う方が無理だという中身です。この公定・伝統的歴史観がもたらす問題は日中関係だけの問題ではありません。今後中国が「平和発展」を継続していくためには、大局に立ってこれを調整すべき時期に来ているのではないかと思いますが、こちらは中国人自身が中国の国益に則って決めることです。

6.結び

  上述のとおり、東アジアは「中国台頭」というやっかいな新事態を抱えています。昨今の日中関係を見ると、東アジアがある種の不安定状態に入ったことが実感されます。ひょっとすると、我々は今後の東アジア国際関係についての期待値を下方修正し、「武力紛争のような大事さえ引きおこさなければ及第点」ぐらいに覚悟すべきなのかもしれません。

  しかし、もし、我々現役世代が「不安定期だから、もともとそんなに上手くいくはずはないのだ」ということを理由にして、和解や地域統合のために努力することすら放棄してしまえば、21世紀の東アジアは前の20世紀から何ほども進歩しないことになります。その影響を被るのは我々現役世代だけではなく日中韓国民だけでもない、東アジア全体の未来が影響を受けることになります。もし、日中韓の現役世代がそういう努力を怠り、後代の子孫や日中韓以外の東アジア諸国民から「より繁栄し、光り輝く東アジアを構築するだけの叡智に欠けていた世代」という烙印を押されるとしたら悲しいことです。東アジアが本当に和解のときを迎えるのに、どれだけ時間がかかるか分かりませんが、現役世代の我々は努力を続ける責任があると思います。

平成18年10月29日
大阪市立大学主催、EU駐日代表部共同主催「ヨーロッパに学ぶ地域統合の可能性 −東アジア共同体を考える」
第7セッション「日中韓三国の歴史的和解に向けて―アジア版〈シューマン宣言〉はいつ実現するのか?」での筆者発言に若干の加筆をしました

(2006年10月29日)