Tsugami Toshiya's Blog
トップ サイトポリシー サイトマップ お問合せ 中国語版
ブログ 津上俊哉
向き合うべき脅威は「民意」を背景とした中国の軍拡

前回は尖閣中国漁船問題に特化しましたが、今回は日本の安全保障の課題という、より大きな文脈を論じたいと思います。


日本の安全保障の課題は何か
向き合うべき脅威は「民意」を背景とした中国の軍拡



  今回は日本の安全保障の課題という本論に戻りたい。筆者は、台湾は言うに及ばず、朝鮮半島でも日本が本当に脅威に感ずるような有事が起こる可能性は今日低いと思っている (紙面の関係でこの点は詳述しない)。日本がいま本当に向き合う必要のある安全保障上の懸念は、台湾や北朝鮮ではなく中国の軍拡だ。不断に増強される中国海軍により地域のパワーバランスは日に日に悪化しつつある。

  だからと言って中国が日本の南西島嶼部でにわかに軍事行動に出るとは思わないが、清朝末期の戦艦定遠、鎮遠に見られるように、中国の海軍は実際に戦さをすることより相手国を威圧することに存在意義があるようなところがある。そして、軍備の優勢を背景に、まずは武装 「漁業監視船」 が遊弋を始め、次第に相手国に手を出せない状態に持っていく…南シナ海に格好の実例がある。

  事は今回事件が起きた尖閣諸島だけにとどまらない。中国のいまの軍拡を前提にすれば、目下領土領海の係争に至っていない南西島嶼部全体の安全保障についても中長期的な観点から検討を開始すべきだ。これこそが今日本の安全保障が向き合うべきrealityである。

中国国防費はGDP1.5%の範囲内だが…

  この問題が深刻なのは、これだけ軍拡を進めて日本、東南アジア、さらには豪州やインドにまで脅威・圧迫感を与え、これに対抗するための軍拡を誘発するなど国際問題化しているのに、中国はそのことを懸念する気配がほとんどなく、国内世論も領土領海問題には 「強兵」 路線で強く出ることへの支持一辺倒に 「見える」 ことだ。

  まず、軍拡の実態を見てみたい、と言いたいところだが、筆者は素人で配備の実態等は不知なため、国防予算の増額状況を見る。

  公表ベースの国防費を見るかぎり、意外なことにGDPの1.5%水準をきれいに保っており (下図参照)、党・国務院と軍の間に何らかの黙契があると思われる。中国にしてみれば、経済、財政の成長に伴って、軍備予算もプロラタ (等比) で増額しているに過ぎないが、中国ほど大きく、かつ、高度成長している国は他にないので、結果は他国が随いていけない急ピッチの軍拡になってしまう。


  「GDPの1.5%」 と聞くと、80年代の日本が対外公約にしていた 「GDP1%枠」 を想起する。米ソ冷戦激化に対応するために軍備を増強したことにソ連以外の周辺諸国 (中国、韓国ほか) からも上がった 「日本軍国主義復活」 への懸念を和らげるために案じられた策だ。

  しかし、中国の 「GDP1.5%」 は周辺諸国の懸念に応えるためではなく、優れて国内的な必要に応えるためのものだ(注1)。国際公約でも何でもないので、日本を含む外国が安心する材料にはなりえない。

「核心利益」論を支える「民意」

  もっと深刻で根深い問題は世論の風向きだ。前回の番外編で、「外国に融和的な発言をすれば 「漢奸」(売国奴) の汚名を着せられてしまう…」 という中国人のタブー意識があるせいで、話が領土・領海問題に及んだ途端、中国の上から下まで 「強硬論一本やり」 になってしまう、そのせいで、この種の問題については、中国が本来長けているはずの功と罪、利と弊の比較考量が十分に行われない、と述べた。

  この 「漢奸」 タブー意識は過去150年間中国と中国人が味わった屈辱の歴史というトラウマに由来するもので、80年を超える歴史がある (本ブログで何回も取り上げた問題だ。例:「日中関係の夜明け」 再論)。

  「歴史トラウマ」 は当然ながら 「過去150年間、中国と中国人の権利は蹂躙されてきた」 という被害感情に根ざし、権利恢復の欲求を潜在させている。昨今の 「中国台頭」 による自信の恢復は 「いまや中国が正当な権利を主張できる、すべき時が到来した」 といった感覚を生みだしつつある。

  小平は対外関係について 「韜光養晦」 という有名な戒めの言葉を遺した。「中華の復興にはまだまだ長い年月が必要だ、それまでは目立たないようにして力を蓄えよ」 という意味だ。これが20年以上にわたり中国の外交・軍事論におけるコンセンサスだった。今から7〜8年前、中国で 「和平崛起 (発展)」 (”peaceful rise”) 論が流行したことを覚えておられるだろうか。これも中国台頭という新たな局面に対応した 「韜光養晦」 論のバリエーションだった。一貫していたのは、台頭の途中で (周辺諸国等と) 摩擦を起こすことはかえって長期的、より遠大な台頭の妨げになるという判断だった。我々はそこに、功と罪、利と弊の比較考量の明確な 「型」 を見ることができた。数年前までは。

  しかし、とくに金融危機以降、中国の 「一枝独秀」 vs 欧米の退潮という好対照が中国の自信、自己肯定的なナショナリズムを一段と高めた結果、いまや 「韜光養晦」 路線の見直し論が力を得つつある。それを象徴するのが 「核心利益」 論だ (本ブログ中国輿論の危険な 「ユーフォリア」 参照)。

  少し前まで、中国絡みの安保懸案と言えば台湾問題が圧倒的だった。 中国人も 「台湾統一が成就して初めて屈辱の近代史が終了する、だから台湾問題に寄せる中国人の感情には格別のものがあり、台湾問題だけは絶対に譲れないことを理解してほしい」 などと言っていたものだ。

  それがいつの間にか 「譲れない」 範囲は台湾から領土・領海問題全般に拡張され、東シナ海・南シナ海に広がる広大な大陸棚権益全体が譲れない 「核心利益」 に格上げされた。「韜光養晦」 見直し論は、これら 「核心的利益」 に関わる問題について 「剣を舞わせる」 ことも辞さぬ覚悟を訴える。

  しかし、東シナ海や南シナ海には日本や東南アジア諸国も面しており、それぞれ権益を有している。その現状を 「もともと中国の権利が侵害されてきたのだ」 として一方的に改変するよう要求し、しかも 「一切譲歩・妥協しない」 とやれば、地域紛争を引き起こすことは明らかではないか。「韜光養晦」 論や 「和平発展」 論は中国台頭の中途でそういう争いを引き起こすことの弊、罪を強く意識したが、「核心利益」 論はそういう判断を共有しない。

中国政府、「韜光養晦」 論を放棄か?

  筆者にとって先週はショック続きの1週間だった。尖閣で船長の唐突な釈放があったのに続けて、別の衝撃的なニュースに接したからだ。温家宝総理が9月23日 (船長釈放問題で日本に最後通牒的な警告を発した2日後)、ニューヨークの国連総会で演説し、次のように述べたのだ (「認識一個真実的中国」 から

  「中国は友好を重んずる一方で原則も重んずる。国家の 『核心利益』 を揺るぎなく守っていく。主権、統一そして領土保全の問題について、中国は決して譲歩も妥協もしない。」

  筆者の知るかぎり、中国首脳が公式の場で 「核心利益」 に言及し、しかも 「決して譲歩・妥協しない」 といった強い言辞を用いたのは今回が初めてだ。従来はやや過激な意見扱いされてきた在野の 「核心利益」 論が、国務院総理により国連総会という公式の国際場裡で、中国政府の公式見解となった。演説は直ちに中国国内に伝えられ、ネチズン達すら語調の強さに驚いた様子だったが、「過去20年来最も強い口調だが、人民の声でもある」 といった歓迎、賞賛を受けた。

  これを知って筆者は、中国は 「韜光養晦」 論や 「和平発展」 論と公式に決別したのかと愕然とした。ただ、公平を期すために、温家宝総理が同じ演説の中で述べた次のくだりにも触れておこう。

  「中国は揺るぎなく和平発展の途を歩む。…世界各国との利益の共通点を求め、拡大し続けていく。中国の発展は何人も害することはない、何人も威嚇することはない。中国は決して 『国が強くなれば必ず覇を唱える』 途を歩むことはない。」

  温総理は 「揺るぎなく和平発展の途を歩む」 と言うが、中国の諺に 「言を聞くより行いを見よ (看其行)」 と言う。前回ポストで取り上げた今回の尖閣漁船事件は、この文脈からはやや外れる特殊事案だと思うが (注2)、南シナ海では、ベトナムやインドネシアが領海やEEZ内で操業する中国漁船を退去させようとして、急行した中国武装漁業監視船から機関砲の銃口を向けて退散させられる事件がたびたび起きている。中国はこれら漁業監視船の近代化・充実をさらに加速する計画だ。周辺国の眼から見れば、このような恫喝的な振る舞いは 「覇道」 に映る。

  よく安全保障上の 「脅威」 は 「能力×意思」 だと言われるが、軍拡により中国の 「能力」 は日に日に充実、加えて温総理演説で 「妥協なく『核心利益』 を追求する」 意思も示された。「ゾロ目」 が揃うのを見せられた気分だ。本稿冒頭で、日本がいま本当に向き合う必要のある安全保障上の懸念は中国の軍拡だと述べたのはそういう理由からだ。

「民意」が暴走すれば中国の安定と繁栄を食い殺すモンスターに育つ

  核心利益論も歴史トラウマや 「漢奸」 タブーの土壌から養分を得ている。こういう対外硬の路線に不安、反感を覚える中国人も大勢いるが、タブーのタブーたる所以で、誰も表だって反対しにくい。日本の侵略という民族受難とこれに立ち向かった抗日戦争を 「建国神話」 とする中国共産党にとっては、なおさらだ。好戦的、膨張主義的な意見ばかりが前面に押し出され、反対の見方はあっても言いにくいという 「不対称」 な環境で形成された強硬論ばかりが幅をきかす結果になる。

  しかし、「言いにくい、反対しにくい」 を理由に、求められる功と罪、利と弊の衡量に正面から向き合うことを避ければ、「民意」 の暴走を誰も止められなくなる。前回のポストでは、「上から下まで強硬一本やりの中国レトリックを額面どおり受け取る必要はない」 と述べた。表で強硬論を述べても、物事の功と罪、利と弊を比較衡量することは依然必要だし、中国はそうするだろうと。その見方を捨てる必要はないが、温総理演説は国家首脳が外交安保上の決断をするときに求められる功と罪、利と弊の衡量、それに基づくマヌーバーの余地を首脳自らの手で狭めた点でバッド・ニュースだ。今後中国が領土・領海問題で融和的な姿勢を採れば、ネチズン達は温総理を 「嘘つき」 呼ばわりして攻撃するだろう。

  隣国がこういう姿勢をとるのは日本や東南アジア諸国にとって災難以外の何者でもないが、隣国の苦を訴えたところで中国人の琴線には触れない。よって、こう言いたい。

  歴史トラウマの中で培われてきた愛国主義や核心利益論は、中国の台頭に伴っていまや止揚すべき時期に来ている。「反対しにくい、言いにくい」 を理由に、これ以上甘やかせば、中国 (の安定と繁栄) を食い殺すモンスターに育つことになると。
平成22年10月 1日 記


注1:以前本ブログ(人民解放軍の 「国軍」 化問題を考える)で論じたように、解放軍も他の政府官庁と同様に、急速に高度化、専門化、官僚機構化しつつあり、その結果外部の容喙をなかなか許さない自律・自治的な組織になりつつある(日本には「人民解放軍が支配する中国」的な、おどろおどろしい通俗中国論があるが、上記はそれとは異なる。強いて日本での類例を捜せば、往時の土木技官王国とか昨今の検察王国に近い)。

  軍事を軍人に任せきりにしたらとんでもないことになるのは古今東西自明の理であり、外からのコントロールが必須だ。世界的には 「シビリアン・コントロール」 という概念が普及しているが、これの中国版が 「人民解放軍に対する共産党の指導」 だ。小平の頃までは軍権の所在 (中央軍事委主任) が権力闘争の帰趨を左右したので別の意味があったが、平穏な政権禅譲が慣行化した今は、その意味が薄れ、むしろ軍へのガバナンス制度としての意味が強まっている。

  しかし、上記事情により 「軍事の素人」 が外から解放軍を有効指導できる余地はどんどん狭まっている。詰まるところ、人事と予算で間接統制するくらいしか途はない。GDPの1.5%が共産党と解放軍の黙契になっているのではないかと筆者が思うのは、以上のような勘ぐりに基づく。

注2:尖閣の現場海域は事件後も依然日本が実効支配している。中国ネットでも 「中国の漁業監視船と日本の巡視船を比べると、依然日本が優勢だ」 と認める意見が支配的だ。しかし、そういう意見は 「よって、日本巡視船に対抗できる大型で装備の充実した監視船団の充実が急務だ」 と唱える。早く南シナ海並みに持って行けと説くのである。政府は言われる前からその方向であり、今回の事件でさらに加速されるだろう。米国では“Coast Guard”が(陸、海、空、海兵隊に次ぐ)第五軍の位置づけだと聞く。日本の巡視船や中国の「漁業監視船」の充実も準 「軍拡」 の動きといえよう。





 

TOP PAGE
 ブログ文章リスト

New Topics

2期目習近平政権の発足

松尾文夫氏の著作を読んで

トランプ政権1周年

中韓THAAD合意

中国「IT社会」考(その...

中国「IT社会」考(その...

中国バブルはなぜつぶれな...

暑い夏 − 五年に一度の...

対中外交の行方

1月31日付けのポストに...

Recent Entries

 All Categories
津上のブログ
Others

Links

All Links
Others
我的収蔵

Syndicate this site (XML)
RSS (utf8)
RSS (euc)
RSS (sjis)

[ POST ][ AddLink ][ CtlPanel ]
 
Copyright © 2005 津上工作室版権所有