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ブログ 津上俊哉
FASTEN YOUR SEAT BELTS (2)

中国の思潮の変化について、読んで考えたことをまとめました。参考にした中国の文献はとうてい訳しきれませんが、時期をみて抜粋だけでもアップしたいと思います。 追伸:本夕、人民銀行が1ヶ月を措かずに預金準備率の再引き上げを公表しました。


FASTEN YOUR SEAT BELTS (2)
中国輿論の危険な 「ユーフォリア」



  前回は、人民元問題で譲歩せず、アンチ・ダンピングや対台武器売却に対抗措置を打ち出し、政府機関にサイバー・アタックまでかけてくる中国の姿勢を見て、オバマ政権が中国に対する違和感と“frustration”を募らせ、対中姿勢を 「硬化」 させつつあるのではないかと述べた。
  中国に対する違和感、“frustration”を募らせているのは米国だけではない。欧州ではもっと顕著になりつつある。COP15で完膚無きまでに欧州のメンツを潰した中国の振る舞いを見て、欧州には 「中国と本当に良好なパートナーシップを築いていけるのか」 という深刻な疑問・不安が増大し始めたと感ずるのだ。

  どうして、こんな不協和が生まれるのか…COP15で異変が起きて以来、筆者はしばらく遠ざかっていた中国国内の対外論調や世論動向のサーフィンを続けてきた。そしてポスト金融危機時代の中国に大きな思潮の変化が生まれつつあることを感じた。それは近年の国力向上につれて、中国に自己肯定的なナショナリズムが急速に台頭しつつあるということだ。
  そう感ずる所以をいちいち文献を引用して論じたら、紙幅が1万字あっても足りない。今回は筆者が感ずる最近の輿論動向を要約してまとめ的に紹介したい。

 (1) 国力の大幅な向上を実感

 ○ 過去数年の超高度成長、とくに世界金融危機後のこの1年間で 「中国の国際的地位は目に見えて向上した」 という実感をトップから庶民までが共有している。これにより中国人は自信を強め、自己肯定的なナショナリズムも強まった。
 ○ 裏返して言うと、昔は非常に顕著だった 「中国=後れてダメな国」 という否定的なアイデンティティ、劣等感 (「自卑感」) が薄くなりつつある (とくに 「80後」 と言われる若い世代で)

 (2) 他方で「前途は遼遠」

 ○ 他方で中国の現状は、貧富・地域の格差、環境破壊、住宅難などの問題が山積しており、「超大国」 とか 「G2」 とか言われるような実体は到底備えていないとの認識が圧倒的多数 (前回取り上げた世論調査でも、「中国は世界的な強国か」 の問いに対して 「全く違う」 58.4%、「違う」 25.7%)。海外の 「G2」 等の評論に対しては、「美名でおだてて中国に過重な責任を負わせようとする西側の策謀」 と判断している
 ○ ここには依然として自己否定的認識の残滓が顔を覗かせ、(1) と好対照をなしている。「偉大な近代化を成し遂げつつあるが、未だ道半ば」 という感じだ。
 ○ 中国人は 「前途遼遠」 と感じているのに、外界では 「かくも富裕で強大になった中国」 のイメージが日増しに強まっている。両者の間の 「時差」 は拡大するばかりで、これが 「大国の責任のあり方」 を巡って摩擦の温床になっている。

(3) 警戒感と猜疑心に満ちた 「国際関係」 観

 ○ 国際社会は弱肉強食で、西側先進国に都合良く、途上国には不利に運営されていると考えている。西側先進国に対しては 「少しでも隙を見せれば、中国に付け入ろうとする油断ならぬ連中」 といった警戒感と猜疑心に満ちた見方が多数。
 ○ この 「外国」 観は、昔とほとんど変わっていない。国に力がなく、しかも分裂していたせいでバカにされ、虐められたという歴史トラウマは風化することなく生きている。1920年代国民党が統治を始めた時代から90年以上続く愛国教育の根の深さを感じる
 ○ これまでの中国は力がなく、理不尽な目に遭っても我慢するしかなかったが、国力の向上により状況が変わりつつある。今後外交上の紛争が起きれば 「剣を舞わせる」 ことができるという自信も 「そうすべきだ」 という強硬論も強まりつつある (注)

(4) 西側の 「中国観」 に不満

 ○ 「西側が 『中国台頭』 を認めた」 といっても、その 「中国観」 は依然として偏見とダブル・スタンダードに基づいており、中国を正当・公平に評価していないという認識が強い (中国 「妖魔」 化報道などへの不満)。
 ○ (1)の自己肯定的なアイデンティティの強まりにより、外部の 「不当・不公平な中国観」 に対する不満度はむしろ高まる方向にある。

(5) 欧米への幻滅

 ○ とくに、世界金融危機後の1年間、欧米に対する評価、憧憬が低下した。ある意味では過去に強かった 「白人崇拝」 的な呪縛から自由になりつつあるとも言える。戦後日本で言うと1980年頃を境に同じ現象が起きたように筆者は感じている。そこには肯定的な要素を見出すこともできるのだが、一方で危なっかしい要素もある。
 ○ 「6.4」 世代 (今の40歳代) より上の中国人には、自由・民主・人権など「西側」 的な価値への憧れや 「それが中国にはない」 という嘆きが広汎に見られたが、「80後」などの若い世代では、「価値」 を説く西側に対して 「ダブル・スタンダード」、「口とハラは別」 といった冷ややかな見方が強まり、あるいは 「中国には中国の国情がある」 といった留保が付くようになりつつある。

(6) 「中華復興」 のチャンス

 ○ 世界金融危機後の1年間、中国が世界で 「一枝独秀」 の回復ぶりを示せたことに安堵と自信を強めつつ、世界が中国ほど回復していない現状を国益伸張、影響力増大の好機だと考えている。
 ○ 中国人が懐かしがる 「唐朝の栄華」 復活の可能性が語られ始めた。19世紀半ばまで世界一の帝国だった中国がその後100年で見る影もなく没落したことも世界史的事件だったが、その中国が国民の自意識の面でもグローバルな大国にカムバックしつつあることもまた、世界史的な事件だと認識すべきであろう。
 ○ 対外関係で押し引きするとき、どのへんを 「五分・五分」 のほど良い分かれと感ずるか?は、最初の仕切り線がどこに引いてあると考えるかによって大きく左右される。過去150年間辛酸を嘗めた元 「超大国」 中国は、中国を苛めた西側や日本とはずいぶん離れた位置に、この最初の仕切り線があると考えている。今後の対中関係の難しさの所以はそこにある。

  以上のような変化は過去数年徐々に起きていたものだが、金融危機後の世界の変貌がこの変化を決定的に加速した。

 「韜光養晦」 見直し論

  鄧小平は対外関係について 「韜光養晦、決不当頭」 という有名な言葉を遺した。「目立たないように力を蓄えよ、決して頭目を気取ったりしてはならない」 という戒めだ。「中華の復興」 にはまだまだ長い年月が必要なのだという諦観が込められている。
  しかし、最近は上記輿論の変遷を反映して 「韜光養晦」 哲学見直し論もちらほらし始めた。「前途遼遠」 を意識して 「韜光養晦は依然正しい」、「力を顕示したりすることは時期尚早」 と訴える意見も依然根強いが、領土問題や台湾問題を中心とする 「核心的利益」 に関わる問題については 「剣を舞わせる」 ことも辞さぬ覚悟を訴える意見も台頭しつつある (だからと言って、即 「台湾武力解放」 という訳ではもちろんないが)。

  外野のおせっかいを承知の上で言うと、中国は依然 「韜光養晦」 を堅持すべきだと思う。中国人がよく言う台詞に 「中国はかくも大きく人口も13億人いる国だ。そんな急には変われない」 というのがある。しかし、「中国がかくも大きい」 なら、世界はもっと大きく、中国以上に 「急には変われない」。
  たしかに金融危機は世界の経済、「下部構造」 を大きく、急速に変えつつある。とくに、この10年間の中国の復興ぶりは鄧小平生前の想像をはるかに上回っただろう。しかし、その変化がヒトの意識といった 「上部構造」 に反映されるには長い時間が必要だ。その現実を見ずにこの1年の変化だけを見て、「いまや中国と世界のこれまでの関係を変えられる時が来た」 などと考えるのは 「ユーフォリア」 感覚だ。中国が政治にも経済にも依然様々な脆弱性を抱えることを考えれば、時間のかかる変化を待ちきれずに 「剣を舞わせ」 たりなぞすれば、ろくな結果にならない。

  しかし、同時に、下部構造が変化しつつある以上、中国に 「待て」 とだけ言っていて済む話ではない。世界の側、とくに西側も今後の対中観、中国との付き合い方を調整することがいっそう急務になったと痛感する。
  五千年の歴史を持つ中国に 「新興勢力」 という呼び方は失礼だが (笑)、古来新興勢力が台頭すれば周辺との関係は必ず不安定化し、一昔前までなら、十中八九は戦争になった。21世紀のご時世に昔のような戦争が起きるとは考えないが、中国台頭で国際社会が不安定化する危険は金融危機後のいま、かなり現実のものになりつつある。中国と外界の双方がこれを災難にしない責務を負っていると思う。
平成22年2月12日 記

注:「剣を舞わせる」 には 「斬り合いをする」 というまでの強い意味はない。日本式に言えば 「刀の鞘をはらう」 くらいのニュアンスか。今回の対台武器売却に対する米国企業向け制裁予告は、この意味でのリーディング・ケースだと言われ始めた。

  と、ここまで書いたら10年以上前の思い出が浮かんできた。1999年5月、ベオグラード (旧ユーゴスラビア) にあった中国大使館が米軍機の爆撃を受けて3名の館員が死んだ事件があった。米国は 「誤爆だった」 と言って陳謝したが、北京では澎湃とした反米デモが巻き起こり、米国大使館が投石を受けて窓という窓のガラスがことごとく割られた。
  筆者がまだ北京の日本大使館で働いていた頃で、家も近所にあった筆者はデモ隊に紛れて現場に行った (もちろん投石はしなかったが)。デモ隊の悲憤・興奮に衝撃を受けて直後にこんな駄文を書いた
  …「謝罪はもう済んだ」 と言う米国の傲慢と思い上がりをいくら罵ったところで、中国は結局泣き寝入りするだけである。仮に誤爆ではなく一部軍人が故意にやったと分かっても、今の中国に米国に報復する実力はない。軍事的にはもとより、経済的にも米国と本当にケンカする力はないのである。中国人は皆そのことが分かっている。…が、この無念を如何せん。
  「こんな目に遭うのは中国が後れているからだ」、「中華の振興」、「富国強兵」…。中国の新聞もテレビもみな連日こんなスローガンを流している。実は同じようなスローガンは南京虐殺記念館にも溢れている。この屈辱、無念をバネにして経済建設を急ぎ、国防力の強化を図り、何時の日か米国 (日本) を見返せる強国になってみせる…というのが中国人のおきまりの心理補償 (compensation) である…
  しかし、屈辱をバネに頑張ることはできても、それで心が受けた傷を癒しきれる訳ではない。心にトラウマを負い、「今に見ていろ」と誓う中国人を見ていると、三国干渉を受けて臥薪嘗胆を誓った明治の日本を思い出す。トラウマはやがて他の場所に再び形を変えて現れる。その結果、周囲のアジアは決してよい影響を受けないだろう。

  いまユーフォリアに浸って 「剣を舞わせよ!」 と叫ぶ中国人の心の底には、こんな 「臥薪嘗胆」 のトラウマが澱のように溜まっているのだ。





 

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